昨日の夜。ラジオもつけずに布団に入る。昨日はあたたかかったのか?湯たんぽも使わずに布団に入る。寝るまで、両親の話し声がうっすら聞こえる。聞こえるといっても、内容もわたしが妄想でつけ加えている点が多々あるようなもの。何を昨日の夜両親が話していたのかも忘れてしまった。他人のことが気にならなくなっているのは、良い傾向だと思う。鈍感にならなければいけない。鈍感力を鍛えなければならない。他者の気持ちや、他者の自分への考えにとらわれすぎて、どうにもならなくなっている状態を解消しなければならない。わたしのこと好きな人は好き(両親はたぶんそう)。嫌いな人は嫌い(両親のテニス仲間のMさんは多分わたしのこと嫌い)。それでいいじゃないかと思う。全ての人に好かれようとするなんて、あのキリストにだってできないことですよ。マホメットにだって、ブッダにだってそう。だから、好き嫌いは割り切って生きていくことに全力を尽くすべき!ではないか?と最近思う。
ブログでそもそも、日記と小説を一緒にしようとしているのが、混乱のもとなんじゃないかなあとわたしは思う。最近の気持ちの揺れも、そのことが原因になっているようだ。
小説はノートで、日記はブログで、という風にすみ分けをしたい。その方が、効率的な気がする。
そうだ!タイトルにあったこと。昼までの行動記録だ。注意力が散漫になってしまうな。
そして、寝ついたのが、わりと早かったようだ。そして、起きたのが今日は遅くて9時50分。花粉症の薬によって眠る時間が増えているのかもしれない。
豆とレタスのサラダをマヨネーズで、お肉の炒めもの、柿、コーヒー、玄米ご飯。朝からこんだけの種類のご飯があるのは、本当にありがたいことだ。母に本当に感謝だ。イメージとして、母に気を使いすぎです、みたいなことを言ってしまったのか、そういう反応が返って来たようなので、気をつけたい。ありがたいとは思っている。同時に自分の自分でする力が失われていくようでもある。実際はそんなことはなく、やろうと思えば自分でできるはず。
どちらかというと外に出るというよりは、中で家事などをする方向に少しずつシフトチェンジしていく方が良いのかもしれない。親が亡くなるまでは、生きていくには、その選択肢がやはり良いのだろうか?それとも、一人暮らししたほうが、なんでも自分でするようになっていいのだろうか?生活保護も考えに入れなければならない。
消費することによって、経済に恩恵をもたらしていると言った考え方を思い出した。少なくとも3食食べているので、そのぶん消費をしていて、経済や生産者の人に恩恵をもたらしているといえるかもしれない。食べる人がいなければ、生産しても売れないのだから。
午前中、なにをしただろうか?
昔の大河ドラマの北条時宗をみながら、ドラゴンクエスト11をやった。ニスゼルファだったかな?の名前が出て来た。どこかでその名前はラスボスの名前だったように記憶している。これから、どうなるのだろうか?ゲーム難易度的に今は連続でボスを倒せている状態だ。カミュの使い所が難しくなかなか使えないのがつらい。
14時くらいまでやったとすると、3時間はプレイしたのだろうか?わりとやる集中力が出て来て、楽しい状態になってきているのは、喜ぶべきだ。少なくとも前に進んでいるのだから。