ぼくの名前は空(そら)。二十歳だけど、頭の中にはときどき変な声が聞こえる。病院の先生はそれを「幻聴」と呼んだ。母さんは「気にしすぎよ」と言った。でもぼくは知っている。あれはただの声じゃない。だって、ちゃんと会話できるからだ。
ある朝、その声が言った。
「おーい、勇者。起きろ。世界が呼んでるぞ」
ぼくは布団の中でもぞもぞした。「今日は通院日だから無理」
「病院なんかあとだ! 魔王がプリン食べてる!」
ぼくは飛び起きた。プリンはだめだ。ぼくの大好物だ。魔王に食べられるなんて許せない。
気づくと、ぼくは知らない草原に立っていた。空は青くて、雲はパンみたいにふわふわで、遠くでは虹が二本もかかっている。あれ、ここどこ?
「ようこそトロロン王国へ!」と声が言った。
振り向くと、空中に白い団子みたいな生き物が浮かんでいた。目が点で、口が三角。
「だれ?」
「精霊ナビだ。案内係。略してナビくん」
「そのままだね」
ナビくんは胸を張った。胸ないけど。
「君は選ばれし勇者だ。魔王プディングンを倒して、この国を救う使命がある!」
「名前ちょっとおいしそうだね」
「そこ注目するとこじゃない!」
ぼくは笑った。久しぶりに自然に笑えた気がした。
ナビくんは言った。「大丈夫。君には特別な力がある。心の声が聞こえる力だ」
「それ、病気なんだけど」
「ちがうちがう。この世界では才能!」
才能。ぼくはその言葉を口の中でころがした。甘かった。いちご飴みたいに。
歩き出すと、道ばたの花が話しかけてきた。「こんにちは勇者さん」
岩も言った。「足元気をつけて」
鳥は歌った。「がんばれー」
ぼくは目を丸くした。「みんなしゃべる」
ナビくんはうなずいた。「君にしか聞こえないけどね」
なんだかうれしくなった。いつもは「変だ」と言われる声が、ここでは拍手みたいに聞こえる。
森をぬけると、お城があった。ドーナツみたいな形の城だ。門の前にはプリン色の兵士が並んでいる。
「止まれ!」兵士が言った。「ここは魔王様のお城だ!」
「プリン返せー!」ぼくは叫んだ。
兵士たちは顔を見合わせた。「この勇者、目的が小さい」
ナビくんが耳打ちした。「いまだ、必殺技だ」
「必殺技なんて知らないよ」
「心の中で強く思うんだ!」
ぼくは目を閉じた。怖い記憶。つらかった日。病室の白い天井。ひとりだった夜。でも、その奥に、小さな声があった。
――だいじょうぶ。
その声をぎゅっとつかんだ。
「ぼくは、ぼくだ!」
すると体が光った。兵士たちは「まぶしっ」と言ってプリンみたいにぷるぷる震え、やがてカラメル色の煙になって消えた。
「すごいぞ勇者!」ナビくんが跳ねた。「自己肯定ビームだ!」
名前ちょっと恥ずかしい。
城の中に入ると、玉座に魔王がいた。本当にプリンだった。巨大なプリン。顔つき。
「よく来たな勇者よ」とプリンが言った。「わしはプディングン」
「それぼくのプリン?」
「知らん」
「じゃあいいや」
「よくないだろ!」
魔王はスプーン型の杖を振り上げた。「くらえ、不安増大魔法!」
黒いもやが飛んできた。胸がぎゅっと苦しくなる。だめだ、飲み込まれる。
そのとき、花たちの声がした。
「君はやさしいよ」
岩が言った。「ゆっくりでいい」
鳥が歌った。「君はひとりじゃない」
ナビくんが叫んだ。「思い出せ!」
ぼくはうなずいた。そうだ。ぼくは今、ひとりじゃない。
「自己肯定ビーム!!」
光が広がった。黒いもやは消え、魔王に当たった。
「うわああ、まぶしい前向きさあああ」
魔王はぷるぷる震えて、だんだん小さくなり、最後には手のひらサイズのプリンになった。
しん、と静かになった。
「勝ったの?」ぼくが聞く。
ナビくんはにっこりした。「大勝利!」
その瞬間、城が紙ふぶきみたいに消え、空が回った。
気づくと、ぼくは自分の部屋のベッドにいた。カーテンのすきまから昼の光。遠くで母さんの食器の音。
夢だったのかな。
そのとき、耳元で声がした。
「勇者、朝ごはんプリンだぞ」
ぼくは笑った。「ナビくん?」
「うむ」
ぼくはゆっくり起き上がった。世界は前と同じ部屋なのに、少しだけ明るく見えた。
声はまだ聞こえる。消えていない。でももう怖くなかった。
だって知っているからだ。
ぼくの心の中には、ぼくを助ける仲間が住んでいる。
そして今日も、ぼくは小さくつぶやく。
「いこう。次の冒険へ」