×

何をお探しですか?

キーワードを入力して Enter を押してください

コンテンツにスキップ
← トップページへ戻る 日記

モーニングページのようなものの必要性

 自分自身との対話。自分自身の弱さとの対話?自分自身の強みの発見?後ろ向きなことばかり、考えても仕方がない。わたしはわたしのできることをやるだけである。書くこともそのひとつだ。わたしは言葉にすることによって、ひとつの形となる。わたしはわたしが言葉を出すことによって、わたしという形となる。どこまで行っても、楽しみは大きい。世界への圧倒的な優しさに満ちている。私は風呂に入って考えている。この世界の行く末を。この世界の真の姿を。この世界の奥深くに秘められた秘境を今も探しているのだ。私の中にある世界はなおも尊い。それがわかっているからこそ、あなたは私であり続ける。世界から避難した世界であり続けようという試みはどこかに行ってしまったのか?すぐに入らなければ、いや、すぐに出なければと言った方が良いか。風呂に入るとそれだけで疲れが増してくる。そのパワーのおとろえは私自身の世界へとつながっている。私は今日ほとんど一日彼女と通話するか、ゲームするかで終わった。明日母が遠出する。その中で、父とテニスをすることも、ひとつ不安材料ではある。車の運転をするにしても、私の技術はあまり褒められたものではないのだから、いつも、まっすぐに駐車できない原因はハンドルの戻し方か?わからないが、私はなおも運転を続ける。事故を起こさないか心配だ。わたしは生きているが、死んでいるようでもある。今日作業所を休んで、ゲームざんまいだった。その悪さを私自身が責め立てる。朝からしていた頭痛は昼頃には去っていた。だが、途中から、やっぱり今日はやりますというのも、違う気がしたので、1日休むことにした。これで、工賃自体が、15000円を切りそうだ。大きなおちこちである。その私自身の下り坂。しかし、先生も一歩後退する勇気を持つことが大事だ、と言っていた気もする。

コメントを残す