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← トップページへ戻る 日記

それぞれの静かさを求めるものたち

 私は今日作業を休んだ。これで週3にもいかずに週2の利用になった。私の中で大きな挫折感と同時に少し楽になったような気がした。週5の利用から週3くらいのペースに変わるということは、収入が減ったりといろんな問題もでてくるが、やる気をもってやっていくしかない。また来週から気持ちを切り替えて、行けるようにしたい。妄想のほうは、例の出来事(まえの職場の利用者さんにそうぐう)以来、悪くなると思っていたが、そうでもないようで、ほっとひと安心な気持ちだ。

 新しい世界を構築するために何ができるか?私の中で、大きなものを小さなものへ変えていく作業。また小さなものを大きなものへと変えていく作業が求められている。私は生きていることについて、そのことを疑うことはできないが、何か、この世界というものが、不思議なものであるという思いは持っている。将来的に彼女と一緒に暮らすということは、それなりに、大変なことであるはずだが、私の中で、やってやるぞ、という気持ちではある。私は私の家族から離れて、私の世界へと没入していく。少しずつ離れていく力の中で、大きな世界が、そのまま現れてくる。何を書いているんだ?私は書くことがないのか?そうなのかもしれない。

 今日は外出もすることができて、彼女を実家に呼ぶこともできた。突然の申し出だったが、彼女はこころよく受けてくれた。お昼ご飯を彼女と両親と一緒に食べて、久しぶりに楽しい時間を過ごした。私が自分自身を否定するようなことを言うと、母が繊細なのよ、とかそんなことを言っていた。そうなのかもしれない。もっと無神経というか、大きな気持ちで、生きていかなければならないと思う。

 図書館に彼女と行ったのだが、本を借りてこれば良かったかもしれない。いろいろな本があって、いろいろな考え方があるものだとパラパラと本をめくっていた。自分の呼吸みたいな文章。それが大事だ。私は意味を持たない意味を考える。意味のない文章をただつづる。私自身の私の心をひとつ大きな物語として、静かにそこにあるものだ。私は今もそこにいる。私は今もここにいる。私の中の大きな物語が、静かに大きなものへと整っていく。トリップしたような?何も考えていない。空白の心の中に文章が入っていくような感覚だ。私は私であるが、私は私ではない。そんな意味のない私の私哲学を打ち立てるのだ。私は私であるが、私ではない。そんな意味のないことを私は今も書き続けている。いや、意味のあるなしは他人が評価することだと、村上春樹さんも言っていた。どう解釈するか?は、私の中の大きな物語の中から小さな私へと行くためのひとつの才能にほかならない。私は私であるが、その中にある世界から世界へのかけ橋はなおも大きなものであらなければ?という思いはある。意味不明な文章だ。もはや、私は私の心をうつすただのはけ口になっている。私は書いている。そのことが重要だ。私は今日新しい一歩を踏み出した。世界の中に大きな形があり、世界の中に大きな物語がある。私は私であるが、どこまでいっても、私でしかない。そのことの意味を考えて、静かに生きていくのだ。そのためのひとつの魂は私からやってくる大きな命へと輝き尽くしていく。その流れは流星のようであり、新しい風を待っているようでもある。静かに生きていく。生きていくためのひとつの力が私の中に芽吹きつつある。生きていくんだ。力強く生きていくんだ。彼女とともに、無理をせずに生きていく。この世界の中から、あなたの世界もまた生まれてくるのだろう。私とあなた私とニル。私はニル。私というニル性は、どこかへ行ってしまったのか?聞いているか?その目には、何があるのか?聞いているのか?その寝室には、何が置かれているというのか?様々な道具、置き時計、キーボード、テレビ、本棚の中の本。本の中に大きな流れがある。本というひとつの世界がひとつの物語へとはまっていく。ひとつの形へと流れていく。あなたのために私は生きている。私のためにあなたは生きている。あなたよ、どこへ行くのか?私の中から流れ出る息吹。私から世界が構築されていく。みな何を知っているのか?みな何を見ているのか?みな何を知っているのか?何も知らないだろう。私は私でしかない。私の中にある一室に私自身の流れの中を記憶の断片として、生かせていくのは、なおも大きな力の源となる。私は私の世界の中に大きな世界の中に皆までいう世界の中にいる。かなりの問題がある。私自身のとても小さな何もできない自分という概念をくつがえすものは何もない。悲しいことだ。私の中にあるものは、小さなものだ。世界はとても大きな世界の中から、とても小さな世界の中に生きていく。そのための世界。私がやるんだ。私がやるんだ。私があなたを幸せにするんだ。という思いをもって、生きていくことができるか?私はやっていく。世界の中で、私は私の内面の没入していく。どこまでいっても、そこには何も広がっていない。夢を見た。過去の職場の利用者さんを介助している夢だ。とても幸せな時間だった。できることなら、戻りたいと思っている自分がいる。できることなら、あの命に戻りたいという世界がある。私の中にある大きな世界は、どこまでいっても、小さなものから、大きなものへと続いていくしかない。とても小さなものだ。とても大きなものだ。私は小ささと大きさの問題を変えていく。

 体を水のようにする。体を液体のようにする。体を心を液体のようにする。心を気体のようにする。その流れの中で、大きな世界が構築されていく。私の言葉は貧困だ。世界とか物語とか、私とかそんな言葉が極度に多くなっている。その世界の中で、私は私であり続ける。世界の中で、世界を傷つけている。私は世界から世界を見つめている。私から私の中にある世界を見つめている。私は私を見つめている。私は私であり続ける。私は私の過去を乗り越えていけるか?私は私の過去を乗り越えていけるか?小さな流れの中に大きな流れをふくめるのか?命はどこまでいくのか?世界はただここにある。

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