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書くことの苦しみ

 書くことの苦しみ?楽しみもあったはずだ。自分の内面をさらけ出して、楽になることもあったはずだ。彼女との関係をめぐって書くことではないかもしれないが、ひと騒動あった。今はお互い話し合って、解決に向けて動き出している。

 書くことの歴史は古い。かつて、ノートに漫画のようなものを描いていたときもある。その他には、ノートに日記帳のようなものをつけていたときもある。私はまだまだだ。と感じる?ああ!そのとおりだよ。感じるのだ。、まだまだだ。そのためになにができるか?構成を考えるとか?

 技術的に高いものを求めようとしているのか?人に意見を求めようとしているのか?何を考えているのか?自己完結の物語。

 書くだけで、毎日書くだけで技術は上がっていってるものなのだろうか?私はそう信じて書いてきたが、あまり成果は出ていない。

 実際アクセス数はほとんど誰も見ていないようなものだ。

 私のブログの特徴といったら、なんだろうか?と考える。

 あえて、WordPressでブログをする意味はGoogleアドセンスだったのだが、エラーが起きているのか、審査に通らないのか、使えない。本の宣伝のために書くのだったら、noteで十分な気もする。

 すべてにわたって、私の強みはいい加減さ、テキトーさにあると考えられなくもない。書く力も落ちていってる気がする。現状維持すら危ういものなのだ。

 厳しい状況だと思いすぎなのかもしれない。現実は何もあまり変わっていない。変わっていないことが、問題だと言われれば、それまでなのだが、、、。

 思えばHTMLやcssも書くことには違いない。ただ、書いていて、そこに私はいない気がする。ただ、作業の中に私が埋没している感じがする。また難しい漢字を使った。スマートフォンで書くのでなければ、書けないだろうほどのものを、私は文明の利器によって使っている。

 あきらめたのか?もう小説を書くこと、いや、文章を書くことをあきらめたのか?そんな自分もいるが、まだ未練はあり、だらだらとこうして書いている。

 妄想めいたものは、だいぶ遠のきつつある。書くことによっていやされてきた側面もあったろう。動画全盛時代にブログか?と笑う声が聞こえる。でも、いいのだ。わたしは、それでいいのだ。ただの統合失調症にかかった男のなれのはてを、書いていく。今いろいろなことに挑戦している。

 B型作業所で在宅でWebデザイン。家の中を歩き回ること3000歩。書くことの力を再確認しよう。私が文章を書く内的な力を再確認しよう。わたしのしんどいなら、しんどい気持ちをできるだけ言葉化して、伝えられるように。詳細な記録を残せるように書くのか?私は私のライフログでも、書いているのだろうか?

 繰り返し同じことを書いているだけなのだろうか?(特に小説)独白的な文章の成れの果てとなるか?どう、成るか?どうなるか?どう鳴るか?様々な思いの中で生きている。

 聖書は言葉でできている。その言葉に人々は祈りをささげ、耳を傾けてきた。私の言葉にその力はない。なぜか?歴史がないからだ。時間がないからだ。希少性がないからだ。

 キリスト教の無抵抗主義にはひかれていたが、今は自分を守りたい、自分の周りの人を守りたい気持ちもある。だが、両親は日々老いていき、私も日々老いていく。

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