私は私である。そのことを大きな柱としている。何も考えることはない。心のままに書いていくのだ。ヘタに考えて、書こうとするな。そのことを肝に銘じて、書いていくのだ。誰も私の小説なんて読まない。これは、そもそも小説なのか?ただの独白ではないのか?私は何も考えることはない。ただ、感じるままに、過ごすのだ。ただ、世界の中にあるのだ。
私は私である。もう一度言う。私は私である。そのことの始まりと終わりが私を包んでいく。私はなおも私である。境界の中に、教会が見える。新たなる旅立ちのとき、急に降ってきた夕立ち。いつまで続くか?大きな形のない姿。私の中にあるゆるぎない世界。私は世界を整える。私は世界をうろたえさせる。私は空の中にいる。ましろな空の中にいる。私は虚無の中にいる。その苦しみはどこにもない。
私は私である。この現実を受け入れたとき、私の中で空の青が光り輝く。かくて、世界はどのようなものになりつつも、意味のない形へと収束していく。言葉の羅列はむなしいだけ。私の存在もむなしさの中にある。絶望するな、空の色。絶望するな、私の底。何ものもない。何ものも消えた。何もかも世界のチリへと消えてしまった。私たちは生きている。それが、すべてだ。それが全力だ。私はその力を生きている道に潜ませる。私の中からあふれ出てくる悲しみの連鎖に、空は夜の悲しみへといたる。どこまでいっても、空は消えていく。どこまでいっても、夜は消えていく。
私は私である。ただ、私の中を吐き出すために、私は私を使っている。私の中にたまっている何かを、私は空の中にいるひとつの獣としてあつかうのだろう。それでいい。そのことわりで、いいんだ。私はきっと、その時、私自身になるだろう。その中で巨大な光があふれ出てくる。そのなかで巨大な海があふれてくる。私は私自身である。何者も私を消してしまわない。何者も私をおびえさせることはない。何ものも私を消し去らないだろう。
私は私である。歩くたびに思う。私は私ですらある。思いの中にある巨大な姿。私は私である。不安とともに、戦い続ける。私は私の中にある光をまだ見つけられずにいるのか?私は私の光であるにもかかわらず。私は私の中に光を見出そうというのか?どこまでいっても、空は消えていく。どこまでいっても、空は静まりかえっていく。何も出てこない。風景以外に何も出てこない文章。私と風景。私と空。私と海。私と光。おぼえているのは、そこまでである。