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← トップページへ戻る 日記

昨日の生活

 昨日は動画を見たり、本を読んだりした。1日4000歩歩いた。記憶力が悪い。ぼんやりしすぎているのか?昨日何をしたか?プログラムの本を読んでいたり、わからない部分、頭に入ってこない部分があったり、なかなかうまくいかない一日だった。具体的にーができた!という成果がないような気がする。決してそんなわけではないのだが、目標を持たずに日々、生活していることに、何かやるせない思いを抱えている気がする。

 その中で何ができるか、?クリシュナムルティを読もうか。私の世界の中で忘れている部分。何か読んで感じたことを忘れている部分。私は世界をこのまま生きていくのか?私はこのまま生きていくのか?

 悲しみの中にある。私は人との会話ができない。会話をしたらしたで、問題を起こすだろう。

 昨日理解したことなど何もない気がする。少しずつ少しずつというのはわかっているが、なかなか難しい面はある。あきらめずに着実に進めていこう。

 寒い。寒い季節になってきた。両親ももう高齢というのに、私は何もしてあげていない。ひどい人間のように感じる。だが、それも私という人間の選択。何もできない私を受け入れるのです。弱い私自身を受け入れるのです。私は預言する。私の未来が明るいものであると、、。私は預言する。私の未来がひらけていることを。私は私の時間を貴重なものとして、私は私の年月を私のものとして、ひとつの形として、私の世界を私の道として、私の世界として、。うむうむ。生きている。私はただ生きている。そのことが重要だ。何か精神活動によって、自分の統合失調症が、ちゆしたか?というと微妙だが、自分自身の感情を吐き出すというのは少し楽になった覚えがある。つまり、日記として、私の妄想やら、幻聴やらを書き出すことで、客観的に見ることができる。自分の内面を客観視することができるというのはある。その中で、自分自身の考えていたことを文字に書き出すことで、言葉に書き出すことで(なぜなら、私は口下手で他の方法をあまり知らないので)、私はひとつの客体を自らの中に持ったのだ。客体とはなんだ?私の中で、そんなわかってもいない言葉を使うなんて??かといって、調べる気はない。哲学の用語の一つだった気がする。よくよく思い出すと、客観的に存在している体(たい)。客観的に存在している事物、ここまでいくともう少しわかりやすく。自分というものから、はずれて、自分の中にある存在を認めること??自分中にあるのは、自分の中に存在する事物を私は持ったのだ。

 私は私自身のある時点を通過したのちに、その現状を私自身によって、表に出す。目に見える形にする。そのことが大事だ。私の苦しい現状を書き出すことによって、私の今を認識して、離れたところから、その苦しさを見つめる。そのことによって、苦しみに対処する方法を学ぶ。それが私のつたない力で見出したこと。そのために、私は書いている。素案のようなものだ。それをどう変えていくか?素案のようなキャンパスに、何を書き入れていくか?私は私の力を信じる。私は私の世界を信じる。同じことの繰り返し、日記と小説の分類。境界があいまいになってきている。他人には他人の世界がある。私には私の世界がある。

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