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プログラミングの本を買ってからの熱の入れ具合

熱の入り具合が変わってきた。少しずつ努力して、プログラミングを書けるようになっていく。その過程を楽しめているだろうか?楽しめているといいのだが、感情鈍麻のせいか、熱中はするのだが、楽しめている感じではない。何かできた時の喜びみたいなものはあるのだが、、、。以前のようにやったー!やったよー!的な感動はなく、よし!と言った感じの感覚である。同じように小説の書き方のようなこだわりが発揮されて、奇妙な文章、奇妙な書き方にならないか心配だが、少しずつ改善していけばいいさ。実際に成果物を作って、ポートフォリオとして、フリーランスの時に使えるまで持っていきたい。加速度的に進めていきたいところだが、無理は禁物だ。無理は禁物だ。大事なことなので、2回言った。私はもう無理ができない体になってしまっていたのだ。それが、何よりの事実。だが、肉体的には腰が痛いとかもなく、いずれ良くなるであろう五十肩が痛むくらいである。デイケアはやめることにしようかなあと思うので、連絡しなければならない。電話の時間と作業時間がかぶっているので、どうしようか?それとも、週1回ぐらい行くようにして、残しておくべきか??自転車で行くにはいい季節になっている。自転車も買わなければなあ。金曜日はテニスがあるので、少しだけ作業をしよう。水曜日にデイケアに行ってこようかなあ??外に出るのは、少々疲れるところだが、彼女以外の人と触れ合えるようになることも、大事かもしれない。短期入所の連絡はまだない。どのように考えるべきか?まだ手続きが終わっていないのか?どのように考えるべきか?まだ時間がかかっているのか?障害区分なども、関わってくるのだろうか?まだ待っている。私はじっと待っている。実際に人のために役に立つことをするのは、いいことだと思えるようになってきた。ただ、その中で、私の中で渦巻く憎しみのようなものがあって、それが、人のために働く行為を押しとどめている。その実、彼女の笑顔をもっと見たいと思うこともある。彼女が喜んでくれれば、僕も嬉しいという気持ちもある。不用意に変なところで笑ったりする自分に嫌気がさす。人が辛い思いをしているのが、笑えるのか?と自分自身の人格について、見損なっている。自分自身の感じることは感じるままに、感じるのは仕方がないが、人を助けたりすることに興味がなくなってきたのは、よくない兆候だろうか?いや、実際は人を助けたいと思っていたのではなく、人の不幸話が聞きたかった、悩んでいる人がいて、自分だけじゃないんだと、思いたかっただけかもしれない。私は悪である。だが、それをいうと人間すべては悪である。私は生き抜いてきた。この地獄のような世界を。と言ってもすでに過去のことになりつつあり、私は生きるべき術を失っている。だが、彼女を喜ばせること。彼女が私なんかと話して、私なんかと会って、うれしいうれしいと喜んでくれることが、何よりうれしい。私はまだ他の人から必要とされているんだ、と思えることにもなる。うれしいことだ。彼女と暮らす目安の時期は4月にしている。その時までに何らかの形にしておきたいと思っている。プログラミングの部分で。私は本を読むことも少しずつできるようになってきた。うれしいことだ。ありがたいことだ。少しずつ復活してきている。少しずつ戻ってきている。そのことを何よりも実感している。私は私の世界を私のために作り上げていく。そして、そのことで彼女とともに、生きていくことができるだろう。何年でも待つよ。ありがとう。本当にありがとう。大変な環境に身を置きながら、彼女は頑張って日々過ごしている。お互い無理だけはしないように、が合言葉だ。うんうん。私はうれしい。うんうん。私は最高だ。うんうん。私は幸せものだ。うんうん。私はどうすれば良いのか?まもなく兄たちがくることに怯えながら、暮らす日々。何がそんなに怖いのだろう?これも病気のせいだろうか?何がそんなに気になるのだろう?他人がどうしてこんなに気になるのだろう?他人の気持ちを考えすぎて疲れてしまうような。彼女と話すときはいやされる。ありがたい。ありがたい。歩きながら、ブログを書いている。何歩くらいいったかな?1500歩前後だ。トイレに行きたくなってきた。行こうか?

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