私は私である。同様にあなたもあなたである。私から始まった物語。疲れの中にいる。疲れたものが私の中から出ていかない。教えてくれた。天の鳥が教えてくれた。あの星々のきらめきを。教えてくれたのだ。何度も繰り返す。同様に私は私である。あなたはあなたである。その境界線の中に、私の他者への感度がひそむ。あなたは私を嫌っているのではないか?あなたは私を恨んでいるのではないか?どうしようもない形がここにはある。どうしようもない時間の流れがここにはある。私は余計なことを言わなかっただろうか?私は余計な世界に足を踏み入れなかっただろうか?怨みと敵意の渦巻く世界へと。私は私の思うことをおさえようとするが、他人がどう思っているかを気にしすぎているというお告げがあった。そのことを私は知っている。私は知っているのだ。長々とした文の中に何か潜むものでも見つけられたらいい。だが、現実はむなしい。ただ、私がいるだけである。ただ、いろんなことを伝えようとしている私がいるだけである。いろんなことを感じていら私がいるだけである。感じることはとても辛いことも多いが、生きている証なんだとも思う。私は私の世界を今か今かと訪ね歩く。私は私の世界を静まり返った空のように歩くのだ。どこからか、空白が生まれて、どこからか、偶然が生まれる。生まれてしまったものは仕方がない。簡単にいなくなるわけにはいかないのだ。だから、ひとつの世界を見つめようとする。だから、一つの命をつなごうとする。すべての中にひとつの形がある。私は言葉を尽くす。二話が始まる。新たな展開が、始まっていくのだ。本を読むことを続けなければならない。本を読み続けなければならない。また今日もどこかで誰かが、生まれている。そして、同様にどこかで誰かが死んでいる。なおも大きな大きな力が空から伝わってくる。誰も知らない宇宙の果てから、やってくるものたち。エアリデル。その名前は古代バビロニアの書物「ナルバレジーナ0巻」に出てくる。そう言う空想だ。そういう架空さを知っているか?そういう今だからこそ、そういう今だからこそ、世界が動き始める。多用する。私は繰り返しを多用する。私は私であるが、同時に私は私でない。私は私の構成物のひとつだが、私は私の精神からなっている。精神の上昇を誰よりも望んだ。しかし、それは今日かなわなかった。残念だ。何度見ても、力が湧いてこない。だが、気持ちは明日に向かっている。今日もまだ終わっていない。無理はしていないさ。誰にも無理をすすめてなんかいない。誰かが、私を信じるならば、私も誰かを信じよう。気持ちの中に心がある。私はとても悲しい思いをした。紙の動物園という本を読んで、そこから、続きを読もうと本を置いているが、一向に読む気配がない。どうしたことだ。これは、どうしたことだ。私は強くなった。架空の話なら、それでいい。小説ならば、それでいいのだ。知っているだろう?あなたはあなたであるからこそ?そういうことだと知っている。そういうことだと知っている。私は何も考えていない。感じるままに書いている。何も意図などない。感じるままに言葉にしている。わかるだろう?その輝きが?AIには作り出せないものだろう?この意味不明な難解さは私が生涯かけて取り組まなければならない、私、というものへの探究なのだ。私は生きている。私は生きている。私の精神は壊れながらもなんとか正常さをたもっているのだろうか?私の心はどこにある?私の心はどこにある?私の求めるものはどこにある?すみやかな逃げを与えよう。私という異次元の不要ものをどのように変貌させようか?どのくらいの力を見せようか?どのくらいの強さであなたを生かせようか?静かな祈りとともに、静かな終わりがやってくる。しずやかさが私を包みこむ。私を祈り続ける。私を信じ続ける。私は本を読む。なんの本だ?集中力はあるか?集中力は出るか?どのようなことでも世界はただあるのだろう?言葉だけが踊る世界において、言葉だけの物語がある。あるところに夜星という人間がいた。夜星は家の中で生活している。フィットネスマシーンで、運動も行っている。そして、彼の感覚には何か得体の知れないものが触れた。それはなんだったか、わからないが、話はバビロニアに戻る。エアリデルという存在が夜星と共感を試みようとしてきた。夜星は必死に理解しようとするが、疲れてしまい、眠りこけた。次の朝、モーニングコーヒーを飲んでいると、またエアリデルがやってきた。今度はそばにいる感じだった。夜星は、隣にいる存在を感じながらも、何も言葉に出さなかった。ただ、あたたかな気持ちになろうとはつとめた。エアリデルは孤独なのだ。そんな時、エアリデルは、何も答えのない問いをぶつけてきた。夜星には、その答えがわからなかったが、彼は丁寧に自分の知っていることを伝えた。それでいい。それでいいんだ。