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私であることの46

私は私である。しかし私ではない。この構文が何ドルでできたことだろうか?よくわからない謎のようだ。この言葉の羅列は今どこにあるのかしゃべることで何がやれるのか。私は私の自由な力を信じる。私は私の自由な文章を信じるだからどうという事は無い。そのまま写すだけ。ただそのまま写すだけ何を移そうと言うのだ。何を移動させようと言うのだ。あなたの世界から私の世界へと何を移動させようと言うのだ。何も移動させる必要は無い。既にそこにある。何もかもが全てそこにある。私は神となった。今私はすべてのものを愛しむべき存在として認知するようになった。しかし私自身そのものは、決して愛することはできないのだ。いや、むしろ私自身のみよ。愛しているからこそ、道が開かれているのだ。圧倒的な存在感とともに、すべての物事が降り立っていくすべての物事が降り注いでいくつながりがない。1つの意思がどこまで行っても終わりは無い。どこまでいっても始まりもない。始まりと終わりのない物語。どこから始まったのだ。生まれたのはどこからだ。どこにも生まれていない。どこからも生まれていない。何も生まれていない。足音がする。足私の足音だ。私の足音がする足音だ。その道はどこに通じているのだ。わからない。私は何もわからない。理解の外にある。すべては、理解の外にある遠く遠く離れた世界にあるのだ。わかってくれるかい。この悲しみをわかってくれるかい。この憎しみをわかってくれるかい。この悲しみを悲しみが2回出てきたと言う事はあなたは悲しみを知っていると言うことだ。その事は誰よりもわかっているはずだ。私は言葉を話す。しか脳のない人間だ。そう思っているのか思っていないのか、私は日本語をしゃべることができる。私は人としゃべることができる。潜在的な力としてそれはある。潜在的な力としてそこにある。だが、実際はしゃべることができないことが多い。どうしたものかすべてはどうしたものか何もない。何も明らかなものはない。世界はただあるようにあるだけだ。私は世界の中で1人の人間を見つけた。夜の星と書いて夜星という。夜星は今日も歩いている。夜星は今日も空を見ているより星と言う人間がどこにいるのか?彼はどこかに行こうとしているらしい。どこに行こうとしているのかわからない。どこにも行こうとしていないのかもしれない。ただ歩くことが目的なのかもしれない。とりあえず夜星は歩いている。夜、星の姿は見えない。暗い暗がりの中で見えなくなっている。夜星は今日も元気に生きている。夜星は罪を背負っている。夜星は社会的制裁を受けている。夜星はだから働けない。夜星はだから、消えていく。空の中に。失われたのだ。何もかも失われたのだ。尊厳も未来も新しい命も許されない。世界がここにある。だからといって生きるのをやめるわけないかないだろう。疲れが増してきた。疲れが増してきた。疲れと言うものは、私の中で重要なテーマとなってきた。この疲れと言うものをどう解釈するかどう乗り越えていくかが大事であるよ。星は今日もきらめいている。夜星は今日もきらめいているはずだった。だが、消えた。どこにもいなくなった。夜星は話し出す。

「私は今ここにいる。ここにいるからこそ私である。私のために生きているものは無数にあるはずだと言う幻想の中で私は生きている。だが、実際はつまらないものだった。この世界にはつまらないものしかなかった。私は1つの答えにたどり着いた。私は声に出すことにした。私の始まりと終わりを私の始まりと私の週末をどちらでも構わない。ただただただ生きていくだけだ。それで終わりだ。あなたはどう思うか私はどう思うか。それが大事だ。わかってくれますね。あなただからこそわかってくれますね。何の意味もないことが何を意味するか私にはわからない」

そうして夜星は私たちにとってかけがえのない存在となった。そして太陽が太陽が照らした。夜、星を照らした明るい太陽だった。その中には愛があった。ただ無数のきらめきがあった。嬉しいことだ。新しい世界がそこにあった。嬉しいことだ。新しい人間がそこにいた人間らしい人間人間らしくない人間、いろんな人間がいた。

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