世界はただただ存在する。私もただただ存在する。光り輝く空は明日への希望を象徴しているようで、何もかもを覆い隠すようにまぶしさで何も見えなかった。消えていく。すべては消えていく。その中で、何もない繰り返しだけが、ただここにある。私たちはなんでもない存在だ。今日はここにある戦いを楽しもう。今の人生の困難を楽しもう。困難であることを自らへの善行となすのだ。自らの行いをすべて存在者へと帰すことになる。私たちの秋の空をどれだけ冬と間違うだろうか?
ある人が言った「ここには何もない。この世界はガラクタに似たものだ。あの存在が消えてから、わたしたちは孤独になってしまった。何も語ることはない。ただ、絶望だけがここにある」
私はその言葉を聞いて、静かに空を見た。少し夏よりは小さくなった雲が風に乗って流れている。私の世界が立ち上がってくる。奇妙な人々があたりをうろうろしている気がしてきた。何か落ち着かないものだ。私だけのものを見つけようとした結末がこれか?と、私は考えた。その流れそのものが、私を追いつめていく。どこまでいっても遠い空が見える。走り続けているのは、私だけではない。すでに彼も彼女も走り始めている。何か違和感のある物語が立ちあがろうとしている。自由でいいんだ。どこまでも自由でいいんだ、と、私は感じた。何もない世界が静かに消えていく。ありがとう。感謝の言葉が出る。
「私はね。昔大きな罪をおかした。そのことについて、贖罪をしなければならない。そのために、私は生きているんだよ。しょくざいとはつみをあがなうこと。しょくざいとは、罪が許されるように他の善行を積むということ。しかし、その先には何もない。あなたが生きている。それだけで、私は救われるのです。まだあの人たちが私を望んでいる」
大きな流れの中で笑顔が出てくる。うれしいのだ。あの人は私に優しくしてくれた。あの人はとても親切だった。思い出した。迷子の僕を救ってくれたおばちゃん。今はもう亡くなっているだろう。ありがとうおばちゃん。何も感謝することもなく、生きてきた。それが、私だ。なんという罪、なんという悪。それでも、笑おう。みんなを笑顔にするために。