×

何をお探しですか?

キーワードを入力して Enter を押してください

コンテンツにスキップ
← トップページへ戻る 【小説、詩】

私であることの28

私の夢はプログラマーになって、フリーランスで活躍することです。彼は言う。私は1人で考えにふける。あなたの世界を見せてほしいと、言う感じだ。そんな日々を私は駆け抜けている。その日々の中で、私ではない私の中にあるものを消え去った空として、調べてみる。私は世界の中にいる。この世界の中にひとつの映えある人間として??そんなバカなことがあるか?私の中にいる赤い私は今どこにいる?空の中にいる赤い馬がいたとして、私は世界の中にその馬を走らせるだろうか?そのためにゆるぎない暗闇を走り抜けるだろうか?統合失調症という傷跡が私を苦しめるとしても??何か、違和感を感じるものとしても??その世界から世界への静かな夜の始まりがあるとしても、その中に感じるわずかなユレは、私自身にはわかりようもない現実。そのための世界の渦を私は作り上げようとしている。夜の帳がおりる。世界の暗闇がやってくる。新しい世界の幕開けだ。私たちの世界の連なりの中に大きな世界の内なる秘めた力が存在することを知っているのだろうか?その力の始まりは、私たちの源流となる源なのだ。世界はそれだけ水にあふれている。大地を駆け巡る水の中で、静かな奔流があふれ出てくる。ありがとう。ありがとう。私は、修正することなく、集中力をもって、修正をないものとして、集中力をもって進めていく。そうなのだろう?より、強くあろうとするのだろう?入れ子構造になっているらしい。てれこ構造なんて言葉もあっただろうか?何か言葉の意味自体をうまくつかめない日々が続くような気がする。私に扱えるのは、名詞だけなのだろうか?動詞をうまく扱えるようになるには、どうしたらいいのか?動的文章を書く。私は生きる。私は私である、とは存在を表す。私は存在の一者である。私は私という存在を司る神である。汎神論的にすべてのものに神は宿るとすると、私自身の中にも神は宿る。そうすると、私自身は神によって守られていることになる。私は神による守護を求めている。誰よりも大きな答えを求めている私自身の神となるいしずえは、そのおおもとの源流にある。私自身の意識の流れの中に、私自身の源流がある。存在者は言うだろう。「あなたはどこにいるのか?」と。私は答えるだろう。「私はここにいる。私はここにいる」その答えはどこか空虚でむなしさにあふれたものであるとしても、その中にある真実を私は見つけるだろう。知っているか!空よ!知っているか!秋よ!あなたたちはここにいる。このディルムンの国に。そうである。そうである。その言葉が私にとっては大きな流れの断章になるだろう。世界はそのままにある。世界はそのままに存在する。だから、繰り返しが存在する。この世界は輪廻している。世界の存在が輪廻している。繰り返しの中に新しいものがあるとしても、私は世界をひとつの物語として構築していく。ある人の世界がある。ある人が道を歩いていって、学校に行くまでを描いたものを書くとする。世界のそのままの世界が今もここにある。誰よりも素晴らしい世界を構築するのだ。朝起きた。朝日がまぶしい。私は着替えて、洗面台で顔を洗い、歯を磨く。そして、1階におりると母がいた。「ご飯できているよ」料理は父がつくったものだ。母は料理ができないのだ。コロッケと副菜が用意されている。ブロッコリーは今日も新鮮な緑色を放っている。私は窓側の席につくとご飯を食べ始める。おいしい。今日も父の作った料理はおいしい。それに比べて母は、、、と思う気持ちがでてくる。母は一生懸命に私に話しかけている。まるで失った仕事を埋めようとでもするように。母はそのまま、どこかへ行ってしまった。きっとハムスターに餌をあげるのだろう。私は私で新聞を読みながら、コロッケ(ソースをかけた)を食べながら、スポーツののった記事を見て、ひいきの野球球団が勝っているのをよろこぶ。空は、青く澄んでいた。私は食事を終えると、再び歯を磨くために洗面所に向かう。朝は2回は磨かなくてはならない。そう思っている。学校の準備をする。昨日いれておいた教科書類、ノート類、筆記用具類の確認をする。私は1階にカバンをもっており、母に「いってきまーす」と声をかけて玄関のドアの前に立つ。母が1階の自室から顔を出して、言う。「いってらっしゃい。今日夕方雨が降るみたいよ」おお、母さん情報サンキュー。私は折りたたみ傘をカバンにそっといれる。結局その日、雨は降らなかった。学校はいつもどおりの日常だった。友だちとさようならを言い合って、別れる。家に帰る途中にファーストフードショップに入る。スマートフォンを使って注文をすると60代くらいのおじいさんが、ハンバーガーとファンタを運んできた。

コメントを残す