私ということからすべては出発しているような気がする。私というものの理解によって、すべては始まっているおうな気がする。圧倒的な世界観の中で、より小さな物語が始まっていく。彼はどこへ行ったのだ?きっとこの地のどこかにいるが、どこかは私にはわからない。私を待つと言っている。私をいつまでも待つと言っている。私はもうやめたい。彼との交流をやめたい。彼を嫌いになったわけではない。私は彼についてまわる人々の群れに対して、強い恐怖や不安を感じている。対人関係において問題をかかえている。挨拶ができない。挨拶をしない。そんな私でも、いいのか?いや、よくないだろう。きっと怒りの鉄槌を何者かが下すだろう。そのために、私が何をするべきか、よくわからない。何かポケットの中に入ってしまったかのようだ。まだこのような世界をとりまく環境そのものを私自身の物語のひとつとして、とりあげることは可能だろうか?最近父がよくテニスの後に寝ているらしい。今日もテニスの後に布団を母がしいてくれて、父は今ごろぐっすりと眠っているのかもしれない。お風呂に入るとかも言っていたので、お風呂に入ることもしていたのかもしれない(なんとなく聞こえたような気がしたので、そうだったのではないか?と思っている)。鼻毛が伸びてきているので、なんとかしなければいけない。鼻毛をカットするハサミを持っていたはずだが、どこに行ってしまったか?そういう男性の整容セットを買ったほうがいいかもしれない(でも、今の私にとってはそれは無駄使いかな?とも思ったりする)。地域中の人々が私を狙っているという妄想から少しずつ離れつつある(あるいは人々が私のことを忘れつつあるのか?)気はするが、陰性症状は相変わらずひどい状態だ。朝起きると今日もだるくて、フケもたくさん出る。フケのあまり出ないシャンプーに切り替えたほうがいいのかもしれない。(これもまた出費のいるところだから、悩むところではある)朝ヒゲを電動ひげそりでそった。だから、どう?というわけではないのだが、ひげそりにヒゲの残りがたまっていたので、きれいにした。(かなり適当なきれいに仕方であったのだが、水を使わなかったので、専用の器具もなかったし、買ったときにもらっている気がするのだが、実際はもうなくしてしまったのだ。そんな私、そんな私なのだ)この()を使った後からの補足というやつは私にとってかなり都合の良いことを教えてくれるらしい(教えてくれるというよりも、かなり読む人にとって読みやすいものに変化しているのかもしれない)。とにかく私は自分を人に好かれる人間であるとは思っていないので、人とのコミニケーションも難しくなってくる。相手が自分を嫌っているとわかれば、コミニケーションは難しくなりませんか?そうではないのかもしれない。別にそんなことはないのかもしれない。だが、私はそう感じるのだ。私はそう感じるのだ。同じ言葉の繰り返しをするので、私は人々の祈りの中で、大きな救済を求めているようなものだ。(何を言っているのか、わからないだろうが、私もわからない。つまりは、同士というやつだ。仲間というやつだ)この問題に引き続き問われている大きな問題は、私は他者との距離感をつかみきれずにいるというところもある。太っていくどこまでも太っていくような気もするし、ここまでで、ストップするような気もする。また大きな問題は、アイスクリームを1日1個は食べているというところだ。美味しくいただいている。この欲望に対するなんとも弱い私の存在は、なおも楽なほう楽なほうに流れていくのだ。このくらいでいいだろう?書くのはこのくらいでいいだろう?もういいだろう?ドジャースは負けそうだ。昨日ジャイアンツは買った。ダゾーンが見れるのも後12日。それから、生活の変化を起こすのだ。SPOTVNOWはまだ契約している。メジャー・リーグを見るためのものだ。それも、もう契約を切るかどうか、迷っている。楽しみがあるのとないのとでは、違うが、ないなら、ないで、何かしら空白の間に何かが埋まりそうな気もするが、、、。どうなるか、わからない。どうなっていくか、わからない。これから先の未来はどうなっていくのか、私にはわかっていない。だからこそ、私は他人の支援を受けなければならない。他人からの支援を受けることの意味。そのことをよく考えるのだ。足がしびれる。あぐらをかきながら、パソコンで文章を書くと、ほぼほぼ足がしびれる。少しずつ動かしながら、パワーをムーブメントしていかないとならない。私のことは知っているかもしれない。でも、私のことを何も知らないかもしれない。あまり行かないデイケアについて考える。作業所がいよいよ来週から始まることになる。受給者証も昨日届いたので、月曜日に持っていくことができる。いい感じに進んでいる。つつがなく進んでいる。問題ない。何もかも問題ない。明日は晴れか?晴れでも雨でも関係ない。なぜなら、私は外に出ないから?そうなのか?私はそのような自分を許せるのだろうか?私の癖というものをうまく使うべきだろう。集団には入らない。その集団への所属する意識の希薄さ。集団への意識の抵抗感は母には理解できないだろう。母も彼女もテニスをやめないようにいうが、私は手首を痛めて、左肩も痛めているので、けっこうハードルが高い気がする。