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私であることの16

 私ではないものはどこにあるのか?私にいっさい感知しないものは、存在しているのか?科学的な議論になっていく?いや、そんなことができるはずもない。時間はただゆっくりと流れてゆっくりと去っていく。それが変わるのか?何か変化があるのだろうか?一歩踏み出すと、それだけ危険も大きい。窓を開けて光を見てみれば、そこには何もないということがわかる。私以外のものが世界に存在するのは、私からのプレゼントに他ならない。論理が破綻しているのか?これも、私だ。まぎれもない私自身であるように思う。スマートフォンで書くことが多くなった気がする。私の構文は〜な気がする。(多いことに気づいたのは最近だが、一体どこからこの構文が生まれたのか?謎である。言い切ることの無意味さを知った時からだろうか?言い切ることの大事さを放棄したからだろうか?)とにかく、私の中にはただひとつの姿がある。美しい光の園が、私たちに微笑みを与えてくれる。消えていく空の中で私は顔を出して街を歩くというのか?マスクをせずに街を歩くというのか?なんという恐怖。なんという不安。ひたすらに歩き続けている。消えていく存在の中で、私たちは何かをつかもうとあがいている。消えていく不安の中で、私たちは何かをつかもうと歩いている。そう。ただ、ゆっくりと歩くだけだ。ただ、その世界を一つにしようとしているだけだ。私は復活する。イエスキリストの復活のように。ただ、私はキリスト教徒ではないが故に、私自身の中では釈然としないかたまりが残る。生きていくこと。死んでいくこと。外を見て窓を見る。夕方になってきて不安が増してくる。巨大な渦が私を包んでいく。私は暑い中を仕方なくクーラーをつける。だから、なんだ?だから、どうしたというのだ?なぜ?急に攻撃的になった?喧嘩腰になったのか?感情の吐き出し?誰でもない人に吐き出してどうするのだ?人に相談する人は確かな理性を持っているが、人に喧嘩腰で話しかけるのは、確かな分裂性を持っているのかもしれない。私自身との断絶、分裂、その言葉には重い意味がある。なお、病名が変わっても、その言葉には重い意味があると感じる。お花畑で誰もが幸せになる未来を描けたら、と思うが、今の私には無理なんだ。今の私はマグマのように憎しみが、私のうちに宿っている。そんな人間に理想化された世界など描けるはずもない。なぜ雨戸をあけたのか?禁じられた門を開けたようなものだ。何もできない悔しさに涙した夜もあったさ(いや、残念ながら記憶の中ではない。私はそんな人間ではないのだろう。そんな、とは、どんな?私にそれを聞いてくれるな、口調が強い)イライラしているのか?クーラーをきったせいで、暑さによる不快指数がケタ違いに上がったからか?

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