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← トップページへ戻る 日記

自身と自信と慈心

 消えていく空。遠ざかる雲。去年のように弟家族は集まることはない。私が壊したようなものだ。私が壊した家族の姿がここにあるような気がする。彼女についにブログを教えた。これからは、私自身の弱さとさらなる向き合いが必要になってくる。疲れ、疲れとともに押し寄せる波。久しぶりに近所の喫茶店に行ってきた。いつもと変わらない喫茶店がそこにはあった。外観の工事も終わっていて、きれいになっているような気もしたが、あまり変わっている感じはなかった。文字を打つのに鬱になる。打つのに疲れがドッと出るようだ。帰りに洋菓子店で母のたんじょう日ケーキを3人分買った。3人で食べるのだ。5人ではない。弟夫婦は来ない。それでいい、と母も言った。私が弟夫婦から嫌われていること。私自身もまた弟夫婦を嫌っているかもしれないこと。これだけ嫌われれば立派なものだ!と密かに自負を持ったりしているのか?嫌われ者なのに??また自分をいたわってあげなければならない。また自分自身に慈愛の心を持って接しなければならない。私自身は私自身を愛せるように、それだけはまげないように、生きていくためのひとつの心。私は私を愛します。もう一度告げよう。どんなことがあっても、私は私を愛します。自己の愛とともに、揺れ動くひとつの試み。私自身を炎で燃やしてしまえ。そして、その灰から聖なる遺物を取り起こすのだ。つまり、自分自身の悲しみから、自分自身の生き様まで、沈めてしまう。何を言っているのか?何を求めているのか?私は私でしかない。私は私である。消えていく世界。そのものでしかない私。消えていく他者。私そのものから、他者そのものへの道。私は私のために何かをしようとしている。私は私のために叶えようとしている夢がある。そうなのか?消えていくのか?あらゆるものとして?あらゆるものがあるとしてだが??混乱しているのか?私そのものへと至る。そのまま沈みこむ。何事もなかったかのように。私は動画で、学ぶ。動画で学ぶ知の大きさをしているのか?それとも、それは空疎なものなのか?私は私自身であり続けたい。

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