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夕方にくる不安感について

 夕方にいつもきていた不安感がおさまってきている。なぜだろうか?今日も、その兆候はあった。きざしはあった。だがやってこなかったように思う。わたしの記述力が上がっている。私自身を繊細に分析する力が上がってきているのだ。きっとそうだ。だから、私は新しい世界をつくりあげる。私にとっての世界を別のものに作り変えるのだ。純粋な私の心根そのものを、私自身の圧倒的な現し身となすように?自然の中にある大地の草木の芽吹きのように?簡単な言葉しか知らないのはそれはそれで、いいこともある。村上春樹流の比喩でも使ってみるか?おまえには無理だ、と言う。それはそうだろう。きっと私には無理だろう。それでもくる不安感。それでも来る孤独感。不安への布石。芥川龍之介は、ぼんやりとした不安と残して行ってしまった。私は何と言う言葉を残すにしても、行くことはまだないだろう。ぶくぶく幸せ太りをしている。ライザップでもするべきだろうか?風呂にまだ入っていない。今日は入らなければ、股間がクサイ。中年になってきて加齢臭が増してきているのかもしれない。香水など対策を使うべきか?こまめに風呂に入れば、大丈夫か?などいろんなことを考える。私のことを噂しているのは、私のことを嫌っている人ばかりではない。私のことを好きな人も私のことを熱心に誘ってくれている。テニスのことだ。ありがたいことだ。まだ私のことを忘れないでくれている。ありがたいことだ。とてもありがたいことだ。作業所の人も役所に連絡をとってくれて、前に進めてくれている。ありがたいことだ。何もかもありがたいことだ。うれしいことだ。ありがたい。うれしい。楽しい。彼女は優しい。私の架空の彼女なんていない。現実だ。これは、現実なのだ。狂える人々の夜の踊りがまだ始まっていない。鋭い牙は、まだ私ののど笛にかみついてこないだろうという安心感はある。安易な変換はやめるべきだ。安易な変換はね。同じ言葉を2度繰り返す。それだけで、、、、。何か安心感がある。繰り返しの美学めいたものだ。不安感を語り出す時に何も語れないようなものだ。不安よりも不安を出し尽くしてしまおうという苦しみの術をあなたは持っているだろうか?そのためのアルルカン。奇術師たちの踊りが私たちの池で繰り広げられている。あたたかな水の入った池だ。あたたかな水の池には龍が住んでいる。誰も私たちが龍なんて思わないだろうね?うふふ?うふふ。笑い声が深い深い樹海より深い森で、こだまする。私は生きている。生きているんだ。夕方の不安はすでに消え去っている。ここからだ。ここからパワーがあふれてくる。腹筋。筋トレ。室内歩き。いろんなことをしてみよう。動き出すことが重要だ。してみようと言ってもしないだろう自分が見える。自分の弱さを認識する私が見える。人間関係を苦しめる私そのもの。私を苦しめる人間そのもの。生きること。それが大地。芽吹く大地の園。

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