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今日は1週間ぶりのデイケア

 今日は1週間ぶりのデイケア。ゆっくりやすみやすみ自分のペースで過ごす。そのことを心がける。人々の祈りが聞こえるようだ。何かざわめきをそう感じてしまう。あと30分ほどするとご飯の時間がやってくる。書く力が急速にしぼんでいく感覚だ。スタッフという権力に逆らうように動いていないか?長いものには巻かれなければならないのに?

 昨日の1日振り返る。昨日もきっといつものように朝起きて一階に降りてパンを食べてをしていた気がする。ドジャース戦の最後のほうだけ見て、フリーマンのサヨナラヒットを見届けた。お昼からはチャットをしたりして、あまり動かなかった。

 なんだかデイケアで疎外されてる気がするような??人間が人間に疎外されているというようなことを?昨日はオールスターゲームの第2戦があった。リーグ戦の再開はいつからだろう。気持ちが、不安定になる。野球のない夜に何か別の集中できることを見つけなければならない。

 今日は1日デイケアにいようと思う。間違えておもた、と入力してしまった。ささやかな笑みがこぼれる。彼女の笑い声を聞けたのも昨日は良かった。何か私の配信がおかしかったらしい。今日は野球はないが、誰からも話しかけられないが、デイケアに1日いることで良い刺激にはなるはずだ。

 私のこの世界に対する認識。私自身が他の人から嫌われていて、いじめられるという認識自体が、どこから生まれてきたのか?過去の経験だろうか?過去にいじめられた人や嫌がらせされた人は精神疾患にかかるものなのだろうか?なんだか、その関連性は高いような気がする。

 私のおならは昨日むちゃくちゃくさかった。あまりの臭さに作家西村賢太さんの図書館で借りた本が臭うのか?と思ってしまった。西村賢太さんの風ぼうとあいまっての重ね重ねの失礼な件、まことに申し訳ない。

 今日もデイケアでなんとなくおならが、でそうで怖い。バイオテロのような臭さだからね。今日はこのあともゆっくりできるスペースでゆっくり過ごす予定。人とはあまりかかわらない。集中力を高めよう。どこまでのことができるのか?やってみよう!

 昨日はそう!西村賢太さんの随筆集一日を手にとって読んでみたのは大きな進歩だった。寝ようかと思って、寝るところに、なかなか寝ることもできずに、Javaのトレーニングブックなども読んでいた。読書ができたのは少し良いことだと思う。

 今日もデイケアで読書でもしようかな?と思う。できることなら、ば?だが、できることならば、私も読書をしたい。赤毛のアンシリーズを読めるかもしれない。そうだ!それがいい!外に出ることによって、刺激を受けることによって、大きな力を得ているのだ。ふんむふんむ。

 昨日の振り返りをしつつ、今日も順調に便が出るが、少し柔らかめです。皆がボードゲーム。麻雀を始めている音がする。ジャラジャラという牌の音。今日はイレギュラーで、予定もできたらしい。少し利用者層が高齢すぎて私にはこのデイケアあってないんじゃないかと思い始めている。ひとりで過ごす分には問題なく過ごせるのだが、、、。(それがよくて、はいったところはある。むしろ、そのひとりで過ごせる時間そのものがとてもだいじだからこそ、ここに来たというのはある)

 私の世界認識について語ってみたい。人々は私を嫌うあるいは、無関心であること(い前はすべての人は私を嫌っているという論理だったが、決してそうではないらしいことも、また事実である)母の精神状態が母のテニスコーチの病気のせいで、少し乱れている気がする。若いころから毎週のようにテニスを続けてきたのだから、それも当然である。いろいろな思いがあるはずだが、僕は何も言わなかった。母をなぐさめることもしなかった。僕というのはほんとうにひどい人間だと思う。

 デイケアが、お昼になってゴーヤの収穫をしたようで、調理をしている。私には声がかからない。無愛想だし、つまり、自分が好かれない理由をどんどん見つけていってるのかもしれない。その精神状態は何なのだろうか?私が特別な人間であるとは思ってもいないのに、特別な人間と思いたがる。それが、問題である。

 さっきデイケアのパソコンでプログラミングの学習動画を見ていた。採用言語はJavaScript。私もちょうどJavaScriptの基礎的なことを学べる本を図書館で借りていたので、読んでみてもいいかもしれない。それをデイケアに持ってきて、やるまでできるかどうか?持ってくるなら、買うべきかもしれないなあ。

 暑い特に暑い日が続く。今日の最高気温は35度である。いろんな話題をはさみながら、進めていく。私の精神状態について。ひどい小説を書いているようだが?実際はどうなんだろうな?本当にひどい小説かもしれないが、突き抜ければ、それなりのものには、なるはずである。そう信じて書き続けている。筋も設定もあったものじゃない。ただ、自分の中にあるものを吐き出しているようなイメージである。そんなこんなで、いろいろな声が聞こえる。デイケアの人々の声。私を責める人々の声(今では残念なくらい聞こえなくなってしまった)、私はどこへ行った?あの日の私はどこへ行った?今の私はどこにいるの?静かな荒波の中を泳ぐようなものだ。人生とはそのようなものだ。そう信じている。そう信じたいものだ。消えていく物語がある。信じていく物語がある。大きな流れの中で、休む人々がいる。ただ、それだけのことだ。クラリッサよ!クラリッサ・ペスカトーレじゃない、なんだっけ、、クラリッサ、、、うーん、、、出てこない。残念ながら出てこない。

 まだ書いているぞ。私はまだ書いている。書くことがなくなったなら、なくなりました!といえばいいのだ。関係性の中で、私は生きている。暑い中を帰らなければならない。もし、可能ならば、駅のスタバで涼んでいくか?何かやる気がわいてきたような気がする。何変えたいのしれないやる気よ!どこから出てきたのだ。プログラミングの動画を見てからか?どうなのだろう?知っているものはあるか?私は休んでいる。

 ゴーヤの収穫したものを食べないか?と誘われたが、基本ゴーヤは苦手なので、断ってしまった。コミュニケーションをとる手段だったのかもしれないのだが、、まあ、私の中でまだその時ではない、という思いがあったのだろう。それはそれでいい、と自分を自分で認めてあげたらいいんじゃないかな。

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