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← トップページへ戻る 日記

今日という日に乾杯

 私は統合失調症が治ってきているのだろうか?という疑問が頭に入ってきつつある。今日は朝から図書館に行って、クラリッサ・ペンクリオン(ダッケなあ?確認すればいいのだがめんどくさい)の水の流れを読み終える。なぜ、読み終えるで変換して飲み終えるが第一候補なのか?謎の変換精度。たまに感じるこの違和感。まったくどうなっているんだ??

 そろそろスマートフォンの買い替え時期かもしれない。遠くで人々の笑い声が聞こえる。家族連れらしい。私のことを笑っているのでは?と一瞬感じるが、すぐに打ち消される。私とは関係のないことで笑っているんだと思える。繁華街とは、また違って人口密度が薄まっているので、ひとりひとりにかかる注目が大きくなっている。図書館で知的障害らしい成人男性を見て、ああ、そうか、と思う。隣にはヘルパーさんらしき人がいた。長くとどまっているのか?私がいる間はずっといたようだった。私はいま公園の日陰のベンチで時間をつぶしている。

 また図書館に入った。外の公園ではイベントをしている。小説でも読もうかと小説の棚のところまでやってくる。小説の区画は、入り口をはさんでいつもいるスペースの向かい側にある。ウルフ。ヴァージニア・ウルフの小説を読みたいと感じている。だが、この図書館にはないらしい。残念に思いながらも、そのまま、別の本を読む。

 一体この世界にどんな幸福があるというのだろう?と私は感じるが、実際のところは、生きていくすべは、その部分にこそあるというのが、現実なのだろう。社会の一員として生きることの意味をよく考えるべきだ。

 私は私であるが、私というものは、集団の中におけるある性質を持った個である。

 図書館でプログラミングの本を読んで、また少しやる気になったり、ならなかったりを繰り返している。図書館では、持っていった本を読めたり、図書館の本を読めたりするので、貴重な場になっている。わかったことは、落ち着くまで本を読むという行為を続けるには、少し時間が必要だということ。その間はソワソワしてしまうことになる。そのソワソワを乗り切れば、いい感じで本の世界に入れるのかもしれない(あくまで可能性として、あくまで可能性として)。だが、相変わらず近くに人が来ると気になってしまったり、本に没入してる感覚はでてこないので、その点はまだまだ集中力が戻っていない感じがある。逆に何をそんなに他人を気にしているのだろう?と私自身疑問な面もある。

 私自身を考えると今まで大して人に気を使うこともなく生きてきた気がする。今さら、そんな人に気を使う生き方ができるとは思わない。とすると、人の輪の中で、気を使わなくても過ごせる人を見つけて、過ごせればいいかなあ?そんな人は見つかるだろうか?私と友達になりたいと思っている人はいるだろうか?たぶんいない気がするので、それでも仕方がないかなあと思っている。私自身のプログラミングの学習について、もう少しいろいろ工夫をしてみようと思う。

 本を読むのが難しいなら、漫画で読むシリーズがあったりするものだ。そのあたりから、難易度を下げて作ってみてもいいかもしれない。チャットGPTを使うのが、いまいちうまくいかないのは、どんな要因があるのだろう?どこか難しそうだと思うところで、つまづいていることもかんがえられる。改善を重ねていったり、新たな方法を見つけることで、私自身の存在を認知してもらうことも必要かもしれない。

 そういう意味では、あきらめることなく、地道に試行錯誤を繰り返していくことで、新しい方法が見つかるかもしれないし、自分自身のスタイルも崩さずに、社会と調和していく方法はきっと見つかるだろう。

 そういう希望を見いだせるようになったのも回復の証である。少しずつ良い方向に進んでいっている実感はある。

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