×

何をお探しですか?

キーワードを入力して Enter を押してください

コンテンツにスキップ
← トップページへ戻る 日記

今日は泌尿器科にやってきた

 今日は頻尿を見てもらいに、泌尿器科へ。どんな結果が出るやら、混んでいる。どのくらいの量尿検査で出せばよかったのやら、わからない。お昼はホーリーズカフェで、一服する予定。今日も自転車で来たし、歩いていないなあ。

 検査の結果何もなかった。尿検査の結果もエコーも問題なし。精神的なものなのか?不安を感じているがゆえに?あるいは、思考が、尿のことに集中しすぎてるために起こるのか?

 1〜2週後までに1日尿の時間と量をはかる日を決めて、100円ショップのダイソーでカップを買って、はかるらしい。

 ホーリーズカフェに来て、トーストサンドを食べた。店員の入れ替わりの時間だろうか?2人になっていた店員が1人にまた別の人になった。5時間後くらいの勤務なのだろうか?1人は帰っていったようだ。

 なにもわからない?なにもわからないからこそ?わたしは私であるゆえん?なぜ私は頻尿なのか?疑問形は常に答えを探し続けるものなのか?閉じていく世界の中で、落ちていく世界はあるの?あると答えるすべさえないこの世界に、なにをあなたはあげようというのか?すでに世界からワタシの痕跡が消えようとしている。ワタシそのものを形作っていた噂が、消えていこうとしている。夢を見たやっぱりあの人は私を好きで、まだ好きだと言われたような夢だった。過去の思い出の中から、あの人がわたしをうらむのではなく、まだ好きだという夢そのものが、わたしを救いへと導くものだろうか?今朝は活動的になりつつある。昨日の非活動的な響きを含んだ余韻とは別物だ。

 わたしはどこにいる?カフェの椅子に座って、ブログを書いている。道は開かれた!私の隣の人が席をくっつけ始めた。私の空間は増したようだった。調子の波の中で、少しずつ本を読んでいる。もうすでになくなってしまった人の本。今さっき見て知った。1977年に亡くなっている。私の生まれる前だ。

 カフェの店員は、お客さんといろんな話をしている。高齢の人と病気の話をしている。隣の人はソファに座っている。ふたりだった。椅子に座るのが嫌だったらしい。そういうものかもしれない。私はそういうものだと認識する。その中で、大きな流れの中に、私は住んでいる。他の人の出てこない世界の縁のある物語。あなたはどこにいますか?私はどこにいますか?私たちは世界を作り上げていく。美しくも壁に囲まれた世界のしらべ。私たちはどこかへ行こうとしている。どこかにある物語の断片。死んでゆこうとする猫たちの群れが私たちを美しい海辺へと誘うのはなぜだろうか?何も根拠のない世界。何のひらめきもないこの世界の渦の中に、私はゆるやかな流れを止め続ける。

 そうであれよ、と問い続ける。そうであれよ!と叫び続ける。私はこの世の中にあるあらゆる物語をとどめ続けている。私の私のための世界。私の私のための終わり。私の私のためのクラリッサ。そう。そんな名前の作家だった。クラリッサ・ペンシュラムだっただろうか?記憶があいまいだ。あいまいなままを調べもせずに、そのままであることの美しさを私は求め続ける。

コメントを残す