今日はデイケアに行けなかった。残念。そのくらいの軽い気持ちでいたいものだ。行けなかった直後は重く考えすぎて、しんどくなってしまった。その方向性は良くないと感じる。私の方向性として、その方向性は良くないと感じた。私は今デイケアに通うことを目標にしてきた。それができなかった。今日。そんな日もある、と割り切ることだ。今日は家の外まで行ったのだが、戻ってきた。頻尿気味で尿漏れ気味で、明日通院しようと思っているが、残尿がズボンのシミとなっていたのを乾くのか、乾かないのか?と悩ましく気になってしまい。乾かなかったら、どうしようと、思って、急きょデイケアへ行くのを断念した。その後、シミは消えてなくなり、事なきを得て、雨も降らずに、行けば順調なデイケアになったと思う。それだけに口惜しい。だが、今日は今日で仕方がないし、やむをえないとして、片づけていく。そうしていかないことには、そうしていかないことには、何も生まれないのだから。何を言っているのか、よくわからないが、とりあえず散歩に出ようかなと思う。図書館に行こうかなと思う。図書館に行く途中で、きれいな花が咲いているかもしれない。どうかわからない。昨日のテニスの影響かわずかに鼻水が出る。花粉を吸いこみすぎると、薬でも完全に止めるのは、難しいらしいな。意識の流れの中で、テニス、デイケア、両親、彼女、など様々なことが渦巻いていく。そこから何が始まるのか、何に終わるのか、は私の人生次第なところはある。私は強く自分の意志で動くことができるだろうか?それが、私に求められていると主治医の先生は暗に教えているのかもしれない。そんな寓話を先週していたのかもしれない。診察があってからまだ1週間もたっていないのに、この乱れようは、何を意味するのか?私の中で、巨大な不安というものが、生まれてくるのに、なぜ、周りの皆は私を信頼しようとするのだろうか?(特に彼女)もし、私が約束の日に約束の場所にたどり着けなかったら?と考えたりしないだろうか?まだ時間はある一か月もないが、まだ時間はある。まだチャンスはある。まだ私の力を示す機会はある。まだまだだ。まだまだその力は眠っている。そんなふうにとらえよう。その中に何も入っていなかったとしても、入っているものとして、あつかっていこう。その決意が必要だ。その心がけが必要だ。私は私の世界をひとつ大きな流れの中に入れていこうとしている。その流れはとても大きく私は流されて、おぼれてしまうかもしれない。そんな現実に、私は日々世界の中にある世界を一つの物語として、とらえなおす試みを行っている。何度も何度も、繰り返し、何度も私はその取り組みを行っている。しかし、その先にはまだ何も見えない。まだ何も見えないのだ。そこが、絶望のしがいがあるといったら、おかしいが、希望を持てない現状を作り出している。少しずつ世界は、世界であり続ける。少しずつ私も私であり続ける。そのためのひとつの方法は書くことである。書くために私は、私の世界をひとつところから、もうひとつのところへと移動させ続ける。今はプロ野球が金曜日までほぼほぼない時期である。どうする?不安定になるか?逆に安定するか?楽しみが消える?いや、楽しみが生まれる?世界が消える?いや、世界が生まれる?同じことだ。すべては同じことの繰り返しのようだ。私は私の世界をまた一歩歩こうとしている。その先にある姿は、どこにもない新たなる道でもある。慈しみが世界をおおうときに私の涙は天から地へと流れ落ちるだろう。残念ながら、世界はそのすべてを私に譲り渡してはいない。復活の日は近いのか?まだ涙がゆれる地平線の向こうに世界が見える。とどめなく耐えうるこの世界の溝の中に私たちが、世界を整え始めている。その姿が私から私への見えない鎖となって縛りつけている。竜の泣き声がする。竜はか弱い動物なのである。その異端さゆえに、その異常さゆえに。だから私たちは、世界をつつむ。世界の中からふっくらとした愛が出てくるのだろう。うれしさは喜びへと変わる。私の世界はその世界からの隣合わせの貝のようだ。移り気なく、移り気なく、とても素晴らしいものが、生まれようとしている。私の中にある自愛と慈愛の精神が、人々をぬくもりの中から落としこんでいく。生まれてこい、世界よ。恥じてこい、世界よ。あなたの世界そのものを私の物語として、ひとつ進呈しようと思う。贈り物だ。あなたは私の贈り物だ。金、土、日、月と外に出て、疲れが出たのだろう。私は今日デイケアに行かなかった。行けなかった。そのことを後悔とともに、公開する。だから、といって、デイケアが帰ってくるわけではない。人々の祈りが戻ってくることはない。静かに静かに聞いてくれ、私の未来の子どもたちよ、世界の果てにあるのは、極限化された世界だけだろう。そのために私の出来ることは、少ない。とても少ないのだ。だからチャットをしたのか?だから、チャットで話しをしたのか?私の心の隙間を埋めるために?あなたの世界のすべてを包みこめないから?
朝が来て(とても遅い朝いつもより遅い朝)8時半。デイケアに行くのには出遅れた。急ぐでもなく、1階におりて、朝食を食べる。デイケアに10時までに行く気持ちはなかったのか?あったのか?デイケアには行かなくてはいけない、と思っている。しかし、デイケアには行きたくないという気持ちがある。(なぜか?職員が怖い職員に恐怖している)ひきこもりでも太っていても普通に散歩して、近所のおっさんと話している人もいる。そのことに私の異質さを逆に際立たせている気がする。私はやはり異常なのかもしれない。