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忍び寄る影

昨日、以前勤めていた会社の加入していた共済機構から退職金に関する書類が届いた。私は退職金をもらえる資格があるのか分からないし、もらえないかもしれない。それでも、一応書類を返送した。

ただ、それをきっかけに、また少しずつ妄想(もしかしたら妄想ではないのかもしれない)が復活してきている。前の職場に関する妄想は、深く、そして激しい。私を容赦なく苦しめる。

彼らは、そんな私の苦しみを見て喜んでいるのだろうか?笑っているのだろうか?そんな考えばかりが頭をよぎる。

私の中の妄想は、深い底に沈み込み、抜け出せない。生きることさえ、どうしようもなく、ただ流れに任せている状態だ。この苦しみは、いつか癒えるのだろうか?いや、まだまだ私を縛り続けている。

私は多くの人を苦しめた。そしてすべてを放棄した。しかし、「生きること」だけは放棄できなかった。

まるで屍のような生き方を、誰かが物語にしようとしている。けれど、その「誰か」は誰なのか分からない。妄想かもしれないし、現実かもしれない。ただ、気配は静まり、心も弱まっていく。

鼓動は穏やかだが、それがいつ止まるかは分からない。

何もしていない。ただ、私たちは何もしていない――そのことが罪なのだ。何もできず、ただ在ることが、罪だというのなら。

そんな苦しみと罪が交錯する私の世界が、今も立ち上がろうとしている。

あの日の笑顔も、すべては露のように消えてしまった。同時に、あたたかい風が私を包んでいた。あの日の私はどこに行ったのだろう?世界の中の私は、どこへ消えてしまったのだろう?

もう、どこにもいない。どこかに行くこともない。ただ、終わりのない物語だけが続いている。

私たちの世界は、まだ終わっていない。終わりを望んでいても、終わりは訪れない。

私は、何のために生きているのか?何のために沈み続けているのか?ゆるやかな風の中で、終わりの風もまた吹いている。

その終わりが本当の終わりになるまで、私は語り続ける。それは陰湿な語りだ。けれど、私はその陰湿さに耐えているのか?いつまでこの苦しみは私を放さないのか、分からない。

母は言う。「あなたの言っていることは妄想だ」と。叫ぶように否定する。その言葉が本当なのか、自分でも疑ってしまう。

だからこそ、戦うべきだ。少なくとも、意志として「戦う姿勢」を持つことが大事だと思う。

私は、生きていく。私の世界を生きていく。たとえその世界が俗悪で、邪悪なものであったとしても――私はその中で、生き続けなければならない。

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