またひとつ日が昇る。そのたびに私は絶望と希望をともに抱きながら生きている。昨日はデイケアの体験日だったが、頭痛がして参加をキャンセルさせてもらった。無理をすれば行けないこともなかったが、そこで無理する意味はあるのか?と思った。また、無理をして、生きていくこと、頑張って生きていくことに疲れ切ってしまった私だから、そのような選択肢はとらないことにしている。今日お昼ごろ兄家族が帰って、一気に寂しくなった気がする。プログラミングの勉強はやはり必要だろうな、と思いつつ、何もできないでいる最近。兄家族が帰って、ホッとしている自分もいる。兄家族が来ることは、私にとってストレスに感じるのはそうなのだろうが、なんと弟として弟がいのない弟であると思わずにはいられない。見送ったときも、少し寂しさを感じた。私はこれから家族とうまくやっていけるのか?人とうまくやっていけるのか?といった不安が常に頭の中にある。回復していく過程で、その不安が顕在化していく。どんどんあらわになっていくのだ。なぜなら、外に出ることも多くなっていくから、その手始めがデイケアだったのだが、どうなのか?果たして、私はデイケアの人とうまくやっていくことができるのか?向こうの都合が良ければ金曜日にまた体験に行かせてもらおうかなと思っている。携帯電話でデイケアに電話しようとしたところ、なぜかうまくつながらなかったので、その点は、不安ではある。(結局固定電話から電話して、キャンセルを伝えた)こんなことをいうと、重症の人に申し訳ないが、私がもっと重症で病状が良くならなければ、こんな外に出るということはしなくても良かったのに、、、などいろんな考えが頭をよぎる。結局、私は自分の気持ちで外に出ようという気持ちがまだなかったのかもしれない。体験の中で、どのような経験を積むか、どのような外的な経験を積むか?常に自分を監視するような、自分の行動に善悪やプラスマイナスをつけるような生き方はやめようと思う。つまり、私は自然に私でいようと思う。自然体、あるがままの自分、それで生きられないならば、世界もそれまでだということだ。
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