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カオス29

 内面的な意識の中に花開くものなどない。と、あの人は言った。昔すれ違った人だ。昔よくすれ違った人だ。静かに夜がやってくる。私たちの中に夜めいた春が顔をのぞかせる。調べ尽くしても、その先には何もない。私はこういう文章を書くことに慣れきってしまったのか?慣れそめしか?よくわからない言葉を使った。自分で浮かんだが、自分で意味がわかっていない。そう自意識の果てに何が残るか、考えた時に、何も残らないかもしれないと気づいた。私の中にある確かなもの。ある人への思い。私は私からはいっていく。私は私から先に進む。私は私をやめようとしているのか?ただの、私の終わりと始まりの物語へと慈しみをのせようとしているのか?どこかに空の色をした陽炎がやってきては、消えていく。すべてのスナイパーが私たちから、身の背を奪っていくだろう。この言葉のどこかに奇妙さがなければ、読まれるのか?いや、読まれはしない。自己の精神はすでに砕け散って、腐れ切っている。何をこの精神に与えようか?と思っても、何も養分となるものはない。あるとしたら、人の不幸かもしれないと私は感じている。他人の不幸を笑う人間として、生き恥をさらしていくというのか?そういう人間だったのか?もともとそういう人間だったのか?わからない。私は人の痛みをわかっているようで、何もわかっていないのかもしれない。私は私の悲しみをどこまでも広げようとしているだけなのかもしれない。とどまるような海が、そこにある。ただ、豊かな平原が私の中から生み出されてくる。言葉遊びのような空虚な平原。さすがに繰り返し過ぎていることに気づくだろう、と1人思う。何もかもが、失われた世界において、ただひとつある自己そのものが存在する。そのことがとても痛い。痛みをともない、傷となっている。私は私の世界をひとつの空白へと埋めるために動いている。空白を作り出すためのひとつの鍵は、何か得体のしれない奇妙な現実かもしれない。私自身の価値を創造する神に私はつのる。悲しみのためのひとつの左手。悲しみの刻まれた右手。失われた臓器の一部に、私の刻印をつけようというのか?何を?一体何を?しようというのか?ただ、心の命じるままに生きようというのか?それとも、心の命じるままに終わらせようというのか?ただ、ここにあるのは、静まった心で、ただ、ここにあるのは、豊かな海原であると信じている。私は、私の物語を続けよう。どこまで行っても、その先にあるのは、無駄なひとつの骨だったのだ。私の失われた10年の歳月がまた蘇ってくる。またひとつの世界が私へと至らせるのかもしれない。私と私への無情の信頼が、私と私への無上の平衡が、私を私へと至らせるのかもしれない。もはや、解決不能な、言葉を持った怪物である。私たちの目には届かない遠い暗い目をした人間である。人々から人々へと至る物語である。人は人へと人たらしめるものである。誰よりも静かに遠のきたまえ。誰よりも人々を癒やしたまえ。そのための苦しみを人々からとりのぞくのは、誰のためなのか?虚空にとどまるひとつの世界の中にどこよりも遠のいた夜の静まりがある。自転車を使って、遠くまで行こうという意志が見える。遠くへと運ぶのは車輪の力ゆえか?私たちの世界から私たちの夜へと破邪の力がもたらされる。失われたものは尊い。なおも、尊いその光は、誰かれかまわず人々を苦しめていくだろう。そして、すべての人を最終的には、救うのだろう。私の私への無上の信頼を、私への無常の高まりを、人々から与えられるものへと変換しよう。かわりゆく波間の潮は、かわりゆく終わりへのファンファーレとなる。言葉からの次弾がやってくる。言葉からの変化がやってくる。どこからか、私の世界からの遠のきが、人々をきらめかせている。人々を祈らせている。人々を心がけさせている。すべての中にひとつの無が入りこんでいく。その静かなきらめきは、どこからともなく、聞こえてくる。「私が私であるために……」そこから、すべてが始まって、終わりのない最後の力を轟かせている。どこかへ行ってしまった変化の渦にどこよりも、世界を整えさせていく。とどめよう、命の箱を。とどめよう、奇跡の箱を。私たちは、何よりも私的であり、詩的である。誰よりも人を心配りの精神へとむかわせるものだ。静かに夜はとどめ置かれる。とどめおかれながら、そのまま、沈んでいく。夜の壁はどこまで行っても分厚いものだ。

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