散歩の歩数について
歩数について病気になった初期は1日1万歩を意識していた。そして、毎日1万歩歩ていた。だが、実際時間がたつにつれて、歩数の目安は6000歩に減ったりして、だんだんと歩く距離も減っていった。今では散歩に行った時も1日1000歩などの日もあって、散歩に行かない日は、もちろん0(スマートフォンを持って常に家の中で歩いているわけではないため)。現実にスマートフォンで昨日の歩いた歩数が翌日の朝に通知されるのだが、そのとき0であると、さすがにショックを受ける。外で歩くのが人がいるため負担になっているのは、確かだ。すれ違うたびに嫌な感じをうける。特に、相手が2人以上の場合は、何か言われているような気がして、かなりのストレスになってしまう。そんなわけで、打開策として、家の中で歩くことを目指して、家の中を昨日歩いた。だいたい4000歩ほど歩いたが、家の中をいったりきたりするだけなのだが、歩きスマホが使えることで、時間の効率化がおこなえる点が、うれしいところだ。もっとも外で散歩しているときは、ラジオやYOUTUBEを聴いて歩いているのだが、、。
なぜ散歩をするか?について
なぜ僕は散歩をするのか?ひとつには、父から1日1回は外に出るように言われているのもある。それと、体力の落ちこみが激しすぎて、ちょっと歩くだけで、疲れがひどいのは前述のとおりである。そのために、少しでも体力をつけなければ、と取り組んでいることでもある。だが、一方で、外に出ることで、近所の人の目や、通りすがりの人の目が気になってしまい、調子を崩してしまう可能性があるので、決して手放しになんのリスクもないわけではない。ただ外に出て、日光にあたることも多くの人がすすめていることなので、続けていきたいとは思っている。
散歩しているときの感覚について
散歩しているときに人とすれ違ったり、車が通ったりしないと最高な気分だ。だが、そんなラッキーなことはめったにない。近所の人通りの少ない場所を歩こうと思っても、家のところに人がいたり、誰かが道を歩いていたりする。特に昨日はスーツケースをひいた若い女の人と犬の散歩をしている若い男の組み合わせが、一度進んでいた道をそれたのに、また同じ道に合流してしまったり、ひどい状況におちいってしまった。イヤホンをしたまま、相手の話声は聞こえないのだが、何かしゃべっている感じが、私自身のことを話しているようだったり、私のことを気にしていたりする素振りを感じてしまって、しんどくなってしまった。すべての人が私に無関心では生きていけないが、すべての人が私に関心があるように感じるのも、しんどいものだ。マスクは常にしているのだが、顔を隠して、近所の人に顔を覚えられないためである。ただ、歩き方の癖(他の人に比べて歩くスピードがずいぶん遅くなった)や、服装で覚えられるかもしれないという恐怖はある。だが、実際は、それほど人は人に関心を持っていないという母の話も事実ではあると思うものの、ある程度の関心は持っていたり、母が近所の人のことを知っていて、噂話などをするときに、ああ、やっぱりこういう噂話などを人はするのだから、私のこともどこかの食卓で話しになっているかもしれないと警戒をしてしまう。つまり、これらはおそらく関係妄想というものだろう。