両親にデイケアのことを話そうか、その前に外に出る練習をたくさんする必要があるのか?先生は何を考えているのか?今日朝新しい便秘薬を飲んだ。毎日朝に飲むものだ。効果が、ありすぎて??なんて、ことにならないようにしたいものだが。恐れているのは、あの都市部での惨劇、あの都市であの年でうんこを漏らした衝撃の事実。そこから、買い物に行く無神経さよ。過去のことを色々と思い出してきた。そして、こう言う調子の良い時にこそ、書くべきじゃないのか?小学校時代の友達との仲違いが、最近になってよく思い出される。中学校時代も同様だ。弟がいじめられていたことにも気づけなかった私。その相手と普通に話していた私。とても悔恨の情ありて、胸が苦しく、痛い。そんなこと今更、弟に謝ったところで、なんだろうな?きっと弟にとってよくない思い出を引っ張り出すだけで、お互いにとって良い結果にならない。わたしがただ、苦しみから逃れたいために、弟を傷つけたりするのは違うだろう。さまざまな過去のことを思い出す。中学校時代立ち小便をしたこと。そのことを言われて、否定したが、よくよく考えてみればしていたこと。あの時から、もう私は、いや、小学一年生の最初の日から、おしっこを漏らしたわたしは、そう言う人生歩むことを決定づけられていたのだ。わたしは本の中の英雄に憧れたが、現実は脇役ですらない。悲しいことだ。夢見る少年の夢は砕かれたのだ。わたしの恋について、話を始める時に好きな人の家を親友と訪ねて行って、逃げ出したわたし。あの時から、逃げ出す。人生、逃げ回る人生は決まっていたのだ。すでに人々はわたしに烙印を押した。わたしが何もできず、何もなすことのできない人間としての烙印だ。
最近思うのは、先生に許可を得ることも大事だが、許可を得ないで、何かをするのも、悪くはないんじゃないだろうか?先生の許可待ちだったら、進むものも、進みにくいものになる。逆に先生が焦るわたしをとどめておく役目を果たしているとも言える。先生と少しずつ対話を重ねながら、前に進んでいきたいと思う。
今まで思考が停止していた状態だったのが、少しずつ戻ってきたぞ。と、嬉しく思う。外に出ること、散歩をすることが大事なのか?それとも、体を動かすことが大事なのか?どちらが大事か、は、わからないが、昨日の通院によって、何か蘇った気もする。一方で不満めいたものも先生には感じつつ、基本的には感謝の気持ちでいっぱいである。わたし自身の思い出、わたし自身の夢の言語化そのものが、ブログの原動力となるだろう。
方向性。統合失調症の症状について書いてあることを自分と照らしあわせて、違いや一致点、思うところや感想などを書いていくのだ。あくまで、私は統合失調症の人間として、生きていく、少なくとも、そのことに特別な意味を見出しているのだ。そのことに、いわくのついた物語をえがきだそうとしているのだ。引用すること。人の記事を引用すること。そのことについて、主文と客文の逆転を起こしてはならない。