午前中YouTubeを見る。検索ワードは「妄想 統合失調症」「ひきこもり」履歴によく出てくるのは、中年障害者チャンネル、さわのvlog、祐吉さんのVlog、精神障害者や、統合失調症の人が多い。
YouTubeでプロ野球オープン戦のハイライトや、過去のプロ野球の映像が流れてくるので、それをちらほら見たりもしている。
精神科医でよく見ているのは、益田先生、芳賀先生、こころ診療者チャンネル、樺沢紫苑先生もたまに見ている。
思えば、私の妄想はなぜ私にとって被害妄想的なのか?出来事を解釈するときに、意味づけをしてしまうのは、よく感じるところでもあるのだが、その意味づけの内容が非常に暗い、つまり、被害妄想的だ、そして、それが故に苦しくなったりする。人から嫌われていたり、狙われているということが精神的なストレスになりうるからだ。
対策としては、事実そのものをわたしにとってハッピーな方に解釈する。
たとえば、姉がなんかそっけない、嫌われてるんじゃないか?と今までなら、感じていた。事実は姉の反応が薄い、そっけない。それに対して、解釈は無限に存在する。そして、嫌われていたとしても、全ての人から嫌われないなんてことはない。それは仕方がないことだ、それに対して、過度に思い悩んでしまう。仕方がないこと。相性でそういう態度になってしまうこと。私は無理して好かれても意味がないこと。それらの要素が複雑にからみあって、私自身を苦しめる。その要素は、いわば世界において当たり前に起こる現象であって、そのことを過度に気にしている。人からの自分に対する見方を過度に気にするところが、この病気の特徴的なことである。この点を大きく改善できれば、この部分の苦しみはなくなる。
方法としてひとつ。
- 嫌われていることを前提として生きる
全ての人に嫌われている前提として過ごす
- 嫌われているか嫌われていないかはは考えない
判断中止。究極的に一過性の感情について、瞬間瞬間のネガティブさを切り取ることに意味がなく、また本人が嫌いという気持ちを持っていたとしても、そのことが、心理的に問題を持つわけではなく、行動面でフォーカスされるのならば、そこはひとつの現象としてあつかうべし。
- 嫌われていないものとしてあつかう
楽天的な態度そのものとして。自分自身嫌われていないものとして、世界そのものを構築する。嫌われるほどの価値はないと考えるのもひとつの方法である。
その他の時間は集中力があまり続かないながらも、野球やサッカーの中継を見れている。特にサッカー日本代表の試合はグッと入りこんで集中できた気がする。兄家族がいる1週間今日から金曜日まで4日間オープン戦がもうないのが不安材料。何をしようか?と別のことに何か意識を持っていかないと、困難な状況になる可能性ありますね。
プロ野球で注目しているのは、日本ハムファイターズ、新庄監督の4期目だが、かなりオープン戦から調子が良いようだ。和製大砲清宮のホームランも見たい!順調に開幕を迎えられるようでホッとしている。パリーグTVで、1ヶ月1600円くらいで見れるので、とても楽しみにしている。
他に課金しているものといえば、AmazonのKindle Unlimitedだか、月額980円なので、もとは十分にとれそうだ。
昨日統合失調症のYouTuberカンクロウさんが言っていたのだが、視聴者が求めているものを作るといい、と言っていた。とても単純なことだけれども、このブログについてもいえるかもしれない。
何を求められているか?が大事だ。
私は最初自分への癒しのために書いていた。そこから、なんとくただの日記みたいになってしまい、今に至る。創作意欲も湧いたり湧かなかったりの微妙なところだが。書ける時は書いていこうと思う。