絶望的な夢が私にふりかかってくる。私が話したことが、あらゆるものに共有されて、襲ってくる。今日は誕生日であれば、何かが変わったのかもしれない。でも、それは違うのだから、私はいつもの日常を過ごすだけである。ここまで書いて、何もない。何もないと感じる。無の領域が、ここにはある。きっと今は、大きな流れの中にあるが、その流れはすぐにしぼんでしまうのだろう。私は1人の人間であることに気づく。生きていくことの意味をどうしても隠そうとしてしまう。私は私であると同時に、何者にも近づけないモノとなりうるのだろう。
かくいう私という人間の圧倒的な心理を、どう形としての終わりに結びつけるのか?私は躁なのか?私は鬱なのか?また時期が躁に転移しているのかもしれない。私が一人の人間として、生きていること。外の世界の漠然とした怖さを私が感じているのは、事実である。誰かが、誰かであるためのひとつの答え。私はパソコンで文字を打つ。私はブリキのおもちゃを持つと、壁に放り投げる。なぜか?はわからない。ただ、そういう文章を書きたくなったのだ。ただ、そういう暴挙を書きたくなったのだ。(それがどれほどの暴挙であろうとも)私は手を差し伸べる。手の先にはあたたかな君の手があるだろう。そこから、そこから?そこからどうなるというのか?
ただ長い文章を書くことに冗長に文章を書くことにこだわりを持っている人間だからこそか?私は私であるからこそ、この世界を納得の中に没入させようとしている。病気のために私は妄想を持った。その妄想が事実か、事実でないか、はわからない。私は、私でさえない。私は私でしかない。ひとつの線が通り、ひとつの線が入った。誰よりも私のために生きてくれ、と誰かに言われたとしても、その誰かが、誰でもない誰かである可能性を考えて、やはり、生きるという積極的な行為を行うことはないのだろう。昔の物語の始まりを静かな大地への無情へと至らせる詩の大地。強大な強大なしずくが、一歩一歩とゆるやかな世界が立ち上がってくる。世界そのものが、味わってきている。甘美な夜がやってくる。彼はどこかへ行ってしまった。あなたはどこかへ行ってしまった。
方法は常に生きていく。方法は常にTを越えていく。Tはその姿を現すだろう。Tはなだからな世界から厳しい世界へと至らせるだろう。正しさの夢を馬鹿らしい世界にいたらせたのか?そうではない、とか細い声で伝える。Tは静かに言う。「もういいんだ。もういいんだよ」私は泣きながら、人々に祈りを捧げる。どうしてしまったんだ。どうして生きていってしまったんだ。私はここから始まる。ここからの事実が走っていく。