私の中にある世界が開いていく。巨大な花のように開いていく。どこまでいっても、世界はそのまま、そこにある。そのまま、私の目の前にある。それでも、その姿をどこまでいっても、見つめていたいものだ。必ず私の間の前に現れるのは、なんだろうか?と考える。私の意識そのもの。私の物事そのもの。私の中で、それ、そのがとても多い。どういうことだ。消えていく。何もかも消えていく。何もかも世界の一部に沈んでいく。中には何もない。外には世界がある。中には私がいる。大きな顔をした私が、そこらへんに住んでいる。どこか、ここではないどこかをそこらへんとという表現を使ったまま、何もない言葉の羅列となっていく。消えていく世界。戻ってくる世界。人々の生まれのない世界そのもの。夢そのもの。気持ち、そのもの。果てそのもの。消えていく行為そのもの。私自身の物語の結末。言葉のイマジネーション。脳内の革命回路が、どこにもない。何かがある、という幻想である。何かがない、という現実である。幻想と現実のハザマで、人々はなおも、夢を見続けている。この世界そのものから、この世の予言を私に合わせている。止まることを覚えよう。止まることを静めよう。止まることを見つめ続けよう。どうしようもない物語が、どうしようもない形のものがたりを思い出す。空はまだ青く、澄んでいる。誰よりも叶えたい世界の事実性。不覚によって、その目を見ると、そこには、巨大な渦が伝わっている。物事が日々の祈りをたずさえていく。結果のために、私たちは歩いている。どこまで行っても、世界は、そこから始まる。
「あああ。私の姿を見てくれ。私のこの恐れに満ちた姿を見てくれ」
「誰も君を知っていない。誰もより強く静かな道がある。気づいたものは、なおも気安く人々を祈りへと続けていく。その胸の内にある、大きな心象風景が私たちをつながりの中へと導いていく。それでいいのだろう?あなたはそれでいいのだろう?」
「何もわからないものはない。ここに世界があり、ここに世界そのものがある。誰からの力が私たちへと世界につつんでいく。誰の姿も満ち足りている。誰の形も満ち足りてている。今日の姿を今日の姿にいっていく。すれ違いの物語。日々の事実性。終わりのない形のスリーダガー。混乱しているのでしょう?あなたは混乱しているのでしょう?」
私はかなりの部分をひどく満ち足りた世界に没入させた。そこから、世界そのものを少しずつつくりかえていくのだ。頑張りすぎるな、と自分に言い聞かせる。ブレーキを踏む準備はいつでもしておくのだ。静かな読みが、静かな書きをいずれも整え始める。