人々の嘆く声が聞こえる。人々の恨みの声が聞こえる。ここは、地獄である。私は入ったのだ。私はこの地獄に入ったのだ。人々は愚かな形をとって地獄の中を生き抜いている。不安だ。そこには、未来への不安、現在への不安、現実への不安があった。地獄には鬼などいなかった。ただ、鬼の顔をした人々が地獄に落ちた人々を苦しめるために精を出している。
針に何度も刺されながら、何度も回復して、何度も激痛を味わうSという男がいた。鬼の刑吏たちは、笑いながらSをとがった針で刺していく。その度にSは苦しみの声を上げる。
「やめてくれ。私が何をしたというんだ。ただ、自分の欲望に素直に生きただけじゃないか。私に何を求めていたんだ。人間として死んでいくために私に何を求めているんだ?」
刑吏たちは、あざ笑い、指を差して、お互いに顔を見合わせる。
「あいつは、この世界にいてはならない。あいつの罪は何度刺されても、復活するぐらいひどいものだ。神があいつの罪を何倍にも、増してくれている。そのための治癒だ。そのための生きる行為だ」
「あいつは、何か言っている。何も言葉など持たないはずだ。あの男はすでに死んでいく身なのだから、それでも楽に死なすには、あまりにも惜しいので、神は何回も繰り返しあいつに刑を受けさせている。この世界を見ろ、ここには、まぎれもない真実がある。ここにいる男はすでに苦しみという繰り返しの中にいるのだ」
Sが何度もうめき声を上げる。それだけの痛みが新しい傷からは生まれてくる。それだけの血が、新しい傷からは生まれてくる。Sは苦しみに耐えかねて叫んだ。
「母さん!」
刑吏は笑った。
「あいつは知らないらしい。自分自身の母親がどんな目にあっているかを」
「あいつは知らないらしいな。あいつの母親がどんな目にあっているか」
暗い夜がやってくるところだ。暗い響きがやってくるところだ。人々は恐れ泣いている。この地獄に来る人々は苦しみという苦しみの刑を与えられている。そして、その苦しみは永遠に続くのだった。
私はSに話しかける。Sの苦しみはどこまでも続く長い道のように飽きることを知らず続いているようだ。Sはうめき声を上げながら、私をみて思う。一段高く人を見下ろすなぞ、人としてやっていいことではない。ただ、傍観するものなど、いていい場所ではない。ああ、私の苦しみをあの人も受けるといいのに、私の苦しみをあの人も味わうといいのに。Sは答えずに、1人で世界をさまよいはじめる。人のいない世界を消えた大地の中から消し去りはじめる。