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← トップページへ戻る 日記

2月17日(月)嫌われ者として

 嫌われ者としての特徴を生かそう。そのための、小説だ。嫌われ者としての発想を小説で生かそう。私は嫌われ者だ。どのくらい嫌われているか?というと、地元中の人が私を嫌っているほどだ。基本的には、私が出かけると、人々は私をつけまわして、嫌がらせをしてくる。

「あの人は地元中の嫌われ者だ」

「あの人はとんでもない人だ。勤めていた職場を突然辞めて逃げ出した」

 その通りであるので、何も反論すべきことはない。私は挨拶をしない。なので、嫌われている面もあるのだと思う。私は人と好んで話さない。それが、嫌われている理由でもある。人にとって、とてもめんどくさく、嫌なやつ(思いやりを人に示すことも、ほとんどない)。そして、その嫌われる力を変える気もない(ここが一番の問題)なので、私は人に嫌われ続けて、死ぬことになるだろう。だから、残念ながら、両親より先にいくことになると思う。3人兄弟なので、両親にとって、1人かけるだけなので、それはそれでいいだろう。まだましだ。子供がいた経験があるだけましという意見もあるだろう。私の無情さ。私の嫌われ力は、まさに怒髪天をつく勢いだ。ややもすると、日本中から嫌われている可能性もある。今や、通信の発達した時代だ。私は日本中から嫌われている可能性も高い。噂が噂を呼んで、私のことを1億人くらいはきらっている。海外の人も嫌いな人はいると思うので、1億人を超えるだろう。人権上の問題とやらでテレビやニュースでは報道されていないが、、、、。さて、ここまで嫌われているのに、なぜ、お前は嫌われていることに慣れないんだ?と言われると、不思議な気がする。私は1人の嫌われものとして、嫌われることに慣れていかなくてはいけない。それなのに、なぜ、今も嫌われるのは嫌だ、、的な気持ちを出すのだろう。しかも、嫌われない努力をするのでもなく、ただ、私を嫌わないでくれ、私は実はいい人なんだ、的な思考が見え隠れするいやらしさ。西村賢太さんという小説家がいた。ダメな自分を書いて、小説にしていた人だ。私は、1人の嫌われ者として、嫌われる自分を書くという小説を完成させることができるかもしれない。その端緒となったのが、拙著「世界の果てまで行って」である。まったく嫌われる力を生かして、小説を書くしかないので、困ったものだ。嫌われる力を逆手にとった自分ってスゲーみたいないやらしいところ、嫌なところもある。とても、誇大妄想が過ぎるぞ。私はただの人間の思いやりを持たない人間であると自分でわかっているはずだ。なおも、なおも、わからずに過ぎるのか??

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