影のような調べが、数多くの苦しみを運んでくる。私は大きな船の上に立っている。どこまで行っても、その先には、海しかないと思っていた。いつか陸地など見えるはずもない、と。だが、私の前にひとつの光が現れた。その光はオレンジで、とても弱弱しい光である。
私はそこにある物語をいつかの終わりとして、とどめようとした。そして、その輝きの中で、何もない虚空を見つめた。私は知っている。あの日々が、どこにもないことを。私は知っている。この世界が何も含んでいないことを。あの日見た夢の続きは、そこにある。そことは、どこだ?と聞き返す、私たちの善意志。中から生まれてくる私たちの悪意志。すべてのことがらが、ゆらめく波のように浮かんでは消えていく。絶対的な彩を私に与えた一人の空人。
遠くからやってきた人に聞く。あなたは何者か?私は聞こえないふりをして、何も答えない。誰からも愛されていないという幻影にひたりきるヒヤシンスのようだ。あなたから、まだ答えをもらっていないと、1人考える。いや、その果てにあるのは、誰かの時代。私たちの世界そのものが、ここから、どこかへととびこえていく。知っているのだろうか?理知とは何か?知っているだろうか?理性とは何かを?論理的なすべての物事が崩壊していくように、私を形づくる思考そのものも壊れていっている。そんな気持ちになってときに、湧いてくるのは、虚しさだろうか?それとも喜びだろうか?いつだって、この世界はものであふれている。いつだって、あの世界は音であふれている。
それぞれの世界が、それぞれの成り立ちをもって、潜んでいる。中身は常に私たちを善なるものへと導くものだから。私たちは、常に善へのあこがれに満ちているものだから。私は私の弱さを認める。私は私の罪を認める。そのうえで、生きていく。そのうえで、死んでいく。そのための私の告白は、誰にとって、”よい”のだろうか?私にとって良い事であるのは、間違いない。私は私の罪を告白する。私は私の他人へのぞんざいなふるまいを謝罪する。私は私への心からの軽蔑と、今はそのようなことを行わない強い意志を見つめるのだ。ただ、それだけだ。ただ、それだけの胸の内を誰よりも、言葉にしようと尽くしてきた。尽くしてきたのに、何も報われなかったらしい。私は、私の世界をつくりかえようとしたが、失敗したのです。
多く出てくる私という言葉。私という自意識のなせる技でしょうか?私というものに、こだわりすぎているのでしょうか?あなたは誰ですか?私は私です。あなたは何者ですか?ひとりの罪びとです。ひとりの神の前にただある小さな存在です。私はひざをついて、あなたに謝罪する。あなたという神に謝罪する。私は、ただ、あなたを生きていくためのよりどころとするために、祈るでしょうか?まっとうな態度もない。私には、いかなる心の内にも、世界がない。
どこかに行ってしまったのだ。消えてしまった夜の闇の中に私はさらに深く深く入る。動的な物語が、動的な音をともなって、世界をつくりかえていく。私は、私の世界をひとりで見ている。私は私の世界をただ、ぼんやりと見ているだけなのだ。いかなる欠片があろうとも、いかなるまとまりがあろうとも、私は、ひとつの世界をひとつの私として認識する。
私は私を悟るだろう。私は私を見つめ続けるだろう。ここまで、言ってから、私はひとつの転換をむかえる。巨大な機構の変換である。おおきな転倒である。私は私の物語をひとつの哀れな物語として、つくりかえようとしている。私は私の世界をひとつの命として、つくりかえようとしている。そのための同じ繰り返し。そのための反復。そのための、縄を何回も締めなおす行為なのだ。