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朝のひととき 1月28日

 わたしは生きている。それは、そうだろう。きっと、その通りなのだろう。相変わらず、そうとかそうでないとか、代名詞が多い。そういう自己批判も、また一つの健全なものかもしれない、とも思う。何か空白がそこにはある。何も書くことのない、という思い。なぜだろうか?わたしの中に何もなくなってしまったのか?どこへ行ってしまったんだ?と考える。悲しみさえ何もない。疲れさえどこにもない。満たされない思い。静かな終わりと始まり、誰よりも満たされている。

 親からしてみれば、40過ぎの息子が、家に、こもりっきりでいる。そんな絶望があるだろうか?わたしはわたしをまた否定している。否定するだけの余裕はある。わたしという一人称は女性っぽいんだとチャットサイトで言われたね。だから、どうこうするわけじゃないけどね。大人の社会人として?わたしを使うのはスタンダードでしょう!なんて、言うんですよ。誰も真実は知らない。というか、人の一人称なんてそんなに気にしてるかな?

 なんで生きているの?と聞いてみて、何もない、と思う。どこかで、わたしは生きているのだが、どうしようもない現実がそこにはある。関係性のない物語のひとつ。わたしの愚かな振る舞い。わたしの素晴らしい振る舞い。いろんな言葉がある。わたしはわたしのために生きている。だから、負けてはいけない。自分自身に負けてはいけない。混乱の中で。うん。混乱の中で。世界が渦巻いている。ああ、そこにあるのは、何もない空白。空白がある。わたしの無意識がある。無意識から何が出てくるか?イメージされる海。イメージされる空。大地の恵み。世界の優越。誰かはわたしを愛している?愛は極端に問題を出してくれる。わたしのこと知っていますか?どうして、こんなことするの?わたしは声を出す。世界のただなかで生きていく。わけていく。わたしは世界をわけていく。素晴らしい物語がある。そこにあるのは、とても悲しい歌。悲しみなんて、どこにもない。このまま生きていくのは、やや、苦しい。このまま、生きていくのも、やや、しんどい。言い過ぎだ。すべてをさらけだしすぎだ。何もさらけだしてなどいない。わたしはどこにもいない。わたしは人から責められる夢をみる。わたしは人から生きろ!と言われる夢をみる。なんてことが、あれば、いいのだけれども、実際は何の夢も見ていない気もする。何かを夜見ているのだろうか?

 文字そのもの。文字そのものがそこにはある。生きていく強さが、そこにはある。そこにはある。きっと今の豊かな平原から愛の呼びかける世界。

 その世界はまだある。ここにある。全体的なものの価値。価値の転倒。わたしは生きている。この世界に生きている。わたしの中の世界、それでいいだろうか、をどんどん探っていく。どうやって?私自身どう感じているか?どう信じているか?思考がまとまらない。断片的な話。わたしは生きている。生きることこそ、だ。生きていることこそ、だ。ここにある何か。ここにない何か。わたしは生きている。それが全員なのだ。複数の人間を暗示する言葉。集団への敵意?集団への恐怖?集団への意図される問題。それまで、生きている。そこまで生きている。どれほど生きていても、生きていくことこそ、だ。そうだ。よくあるものだ。よくある様だ。どこまで行っても、青い海。どこまで行っても青い空。空と海が好きなんだなあ。新しいものが生まれている。わたしの中から出てくる物語。わたしの世界から出てくる物語。何かが、ここにある。何か、わからないものが、ここにあるんだよ。ありがとう。ありがとう。うれしいね。とても、うれしいね。

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