×

何をお探しですか?

キーワードを入力して Enter を押してください

コンテンツにスキップ
← トップページへ戻る 日記

私自身の価値と相対的な問題

 私が私自身に価値を見出すのは、大事だ。しかし、私はあまり話し上手ではないし、人から好かれるタイプでもない。では、どうするか?いかに他人の間で価値をあげていくか?ということを考えるべきなのか?私のできることをあげてみる。テニス、ギター、小説を書いたりすること。

 テニスは中学校、高校時代にやってて、社会人になって、再び再開した経緯がある。テニス歴はあわせて10年はこえているだろう。片手バックハンド。ウェスタングリップです。市民大会ではB級などで入賞したこともある。自慢のように聞こえてしまうが、今は、まったくそういうことはない。私の力は落ちている。太り気味で、おだやかな中年になったようにみえる。一見すると、そう、一見するとですね。

 さて、ギターについて、10年ほどまえにはじめただろうか?当初はギターショップで先生について習っていた。その後、職場でギターのできる人に教えてもらっていたが、その後、ひとりで練習するようになった。簡単にはいかない道のりだったけど、なんだか楽しくやっているうちにここまで弾けるようになった。独学なので、足りないところ、おかしなところはいっぱいあるだろうけど、なんにせよ、多少は弾けるようになるレベルまでいったことに感謝。何に感謝。すべての関わってくれた人に感謝である。

  小説を書き始めたのは、病気になってからだったろうか?統合失調症の有名な作家というのを検索しては、「よし!おれも!」と意気ごんでいた。芥川龍之介、夏目漱石、カフカもそうではないか?と検索では出てきていた。病的な状態のまま、書けたのか、それとも、書いた後に病になったのか、病的な状態のまま書けるものなのか?私の中で大きな疑問点はつきないものだ。そんなわけで、書き続けて、辞めていた時期もあり、現在に至る。自分のスタイルというのを確立することが、とても大事だと思う。私のスタイルは無意識の中から物語をつかむ方法を採用したい。無意識に私の中で、

 チャットで昔話していた友達と再びつながることができた。この先の結末はどうなるか、わからないけど、ひとつの可能性として、探っていきたい。私は私をさらけ出して、私の嫌なところから、その人が、私から離れていくのは、仕方がないといえるだろう。そこまで自分をさらけ出して、後は野となれ山となれの気持ちでいこう。どうなるか、わからない世界。どうなるか、わからない道が続いている。私は今一歩を踏み出そうとしている。そのままに、そのままに。

 さて、そろそろ生きているのに実感がともなってきただろうか?何を考えているのだろうか?私は閉じた世界にひきこもっている気がする。その閉じた世界は甘酸っぱく、少し苦い。コーヒーのような、かおり高い苦さで、ザクロ酢のような甘い酸っぱさをふくんでいる。私は今朝の10時42分に文章を書いている。そのほかにやれべきものは、何もない、と言わんばかりだ。私自身の力を持っていく。どこにもっていく?この世界の先へ。この世界の先へ先へ。(いうなれば、この世界の下へ下へ、あるいは上へ、上へ)方向は常に前向きであれ!と私自身思うのだが、実際問題、それは難しい。なんらかのきっかけによって、生命が花開くはずだ。私の中のイメージでは華ひらくという変換が、より、しっくりとくる。何を感じているのかも、よくわかっていない。私は私を理解するすべがない。私は私という迷路に迷いこんでいるのか?ドラマ「コウノドリ」のメインテーマ曲の美しい旋律に癒されながら(チャットの友達に教えてもらった)私は自分の意識の奥深くに到達できるだろうか?私にはその自信がない。それでも、前を向いて、進まなければならない。ありがとう。ありがとう。という感謝の気持ちがわいてくる。生かしてくれてありがとう。すべての大地よ。すべての世界よ。すべての自然恵みあふれる宇宙よ。すべての愛すべき人々よ。私を私のための世界へとなしてくれ。世界を私から私に奪い去らせてくれ。よくわからないことを言っている。よくわからない世界を言っている。何を言っているのか、よくわからないだろう。それでも、それでも、時は流れ続けて、私は老い続けるだろう。新しい命が生まれてくるとともに、私は人々から遠ざかっていく。私は私の底にあるマグマのような自我をおさえこむことができるだろうか?エスを超自我によって、静めることができるだろうか?私は話を聞いていない。誰の話も聞いていないだろう。そして、何も語らずに朽ちていく。すべての終わりと始まりを私は誰よりも選択の中で、朽ちていく。朽ちていく。そう。朽ちていく。繰り返しの効果を誰よりも感じている。誰よりも、この世界を愛しく思っているのか?いや、そんなことはない。私はひとりの人間として、世界に存在することを愛されている。月並みな表現のようだが、私は私でしかない。私はひとりの私でしかない。

 強力な組織がある。その組織の名前は”忌み嫌われるものたちの哀歌”と呼ばれる。人々は相互にテレパシーで連絡をとりあっていて、お互いの身の安全を確保している。彼らは、現実の社会関係よりも、ひとつすじちがいの場所に関係性をつくりあげている。それは、ひとつの飲み会サークルだったり、ひとつのクラブだったりするのだ。そこから、派生して、さまざまな力が私たちに押し寄せてくる。その組織の力はだんだんと大きくなっている。その組織は人間の無意識を土台にして作られている。その組織は人間の集合的無意識や、社会的無意識のさらなる土台となる無意識である。その無意識の中に人々は耽溺している。その世界を愛し尽くしている。その無意識によってつくられた世界は、とてつもなく、尊い。その尊さを誰よりも敬意をもってながめる1人がいる。私であるか?私でないか?結論として、その人は私ではない。その人は その でしか表されない1人の人間だ。存在自体が、ひとつの代名詞となる。

コメントを残す