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わたしたちという庭の木(31)

 わたしは生きている。どこにもない世界が、この果てからわたしを見つめている。さあ、生きていくぞ、と人々は叫んでいる。それでも、なお、わたしは生きていくことの意味を考える。どこまで行っても虚空がそこにある。わたしを求めている。さて、夜もふけていく。かなりの部分が生きている。手を振る。合図をしているらしい。気持ちわるさを感じる。何か異質なものを感じている。ただ、無意識なものを人々が、すくいとろうとしている。わたしは問いかける。「生きていていいのか?」と。あなたは答えるだろう。人々の前ではっきりと宣言するだろう。

「私はすでに生きているシカバネである。見ているものは、誰も見ていないものと同じである。私が知っているのは、よみがえる不死の鳥たちだけである。ノックの音が聞こえる。そこから始まるものがあるはずだ。わかるね?あなたは、何もないひとつの物語をつくりあげる。人々はなおも生きている。人々は生き抜いている。そのことを大きな志とせよ。人々を混ぜ返している。人々を満ち足りた世界へと至らせている。知っているだろう。この不明な級数的な意図しない物語を。私はすでに満ち足りている。あなたは、あなたでしかない。あなたは、あなたの大切なものを守りとおすだけ。あなたはあなたの強さを求めている。だから、知っているだろう。だから、知らないのだろう。きっと今でも、きっと今でも」

 そこからわたしはあなたの手をとり、ささやかな現実へと身を躍らせていく。輪舞の響きとテレマンの音楽が響きをかわしあっている。豊かな平原が、なおも、静かな時を刻むときに、大きな流れがわたしたちを包んでいくだろう。その私たちの根源たる存在のありかを”庭”という。わたしたちは、わたしたちの存在を刻み続ける場所が必要だった。だから、庭に木を植えたのだ。読み上げる心のオアシスの中で、うろうろとした亀たちの、喜びの声が聞こえる。

「どこにもいかないでください。あなたは、あなたの場所を守り抜くことができる」

 その対面として、ツルが声をあげる。

「どこにも行けはしない。どこにも見てはいない。知っているものは、誰よりも、知っている。わたしたちは、きわめて大きな満ち足りた世界を塗りつぶしている。手をあげてくれ。その世界は姿がまだ見えないから」

 そうやって、わたしは庭の中に入った。

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