止まったものの、まだくすぶっているような?ものの出てくる頻度、その他について。私の技能の客観的な評価についての無意味な考察。喫茶店にいる。お昼ご飯ホットケーキを食べた。セットで690円なり。やってきて、すぐ帰るお客さんもいれば、そうでないお客さんもいる。何か言葉が、うまく出てこない感覚だ。
何かが、おかしいと、違和感は感じる。歩いて喫茶店まで来ると、少しふとももが疲労したような感覚に襲われる。独特の文体というものにあこがれる。私は私の文体がある。
今日私の中の飛躍を、どこかへ着地させようとでもいうように?ここから、図書館に行って、しばらく居続けようと思う。電車に乗って、行ける図書館に行こうと思う。毎日かけているだけ、いいね。
だが、わたしの日記や小説は何の価値もないと評価する人もいる。それが、とても残念ではあるが、仕方のない事実である。書き続けて、どうなるか?何か違和感は感じている。何かよくないものを感じている。
昨日NHKラジオ放送の「わが家のこもりびと」という番組を聴いた。あまりしっかり聴いていないが、なんだかあまりみな番組に慣れていない、ようだった。実際問題、親御さんがひきこもりだった(現在は違うらしい)子供さんを無視していたなどの話が出てきて、もちろん世間はひきこもりに決して優しいわけではないんだよなあ、と思いながら、聞いていた。たしかにいろんな問題があって、ただ何も生産せずに生きているだけ、と言われれば聞こえは悪いが、私も当事者に近いひきこもりの1人として、しんどい思いも多々ありながら、生きている状態であるということを理解している。何といっていいのか、判断にとても迷う目線になるのかなと思う。栗原アナウンサーは最後までひきこもっているひと目線で話してくれて、とても嬉しかった。