なんというか、40代で未婚で子供いずに無職の自分と白羽さんを重ね合わせてしまう部分はある。あそこまで、他者に対して攻撃的ではないが、少なくとも、居場所が当たり前に暮らしている人の間ではなくなっていくのが、なんとなくわかる。
さらに主人公のキャラクターがぶっ飛んでいて面白いなとも感じた。変だと妹に泣かれることも。適応こそ、白羽さんに比べてしているように見えるが、実際は主人公のほうがやばい!と私も思ってしまった。
同時にわたしは適応こそしていないものの、そこまでのヤバさはない。というか、主人公と私を分けるものは、自分で自分のヤバさに気づけているかどうかだと思う。わたしは自分で自分が、やばい人間であると認識している。その点が、主人公の方と違うのかなあと感じた。どちらが良い?のかは、私にはよくわからない問題であるが。
私の感じたこととしては、世間と人間関係を結べば、それだけ求められる世間並という評価があるのだなと実感している。だが、実際には、私の世間並という評価自体が、私自身が勝手につくりあげている部分もあるので、その点については、世間の人がどう思っているのであれ、表面的には、そこまでいかないかもしれない。ただ、主人公は違和感として、自分が見られていることには気づいている。そのことをなんとか取り除こうとした結果、白羽さんという男と同棲することになったのだが、実際主人公の女性米倉さんは、コンビニが好きだという自己そのものに気づき、コンビニに働きにかえっていくだろう、というところで、物語が終わっている。私はたしかにあとがきも読んだはずなのだが、中村文則さんが書いているというだけで、ほとんどあまり頭に入ってこなかった。この現象はなんだろう?と思う。単純に私が理解できていないのか、腑に落ちないから理解できていないのか?1回読んだだけではわからないものがあるのか?
姪っ子がでてくるシーンで自らの現状と重ね合わせてしまう。甥っ子をたいして、可愛いとも思っていないだろう自分。そこから始まる両親などとの価値観の相違。その結果、私は異分子として(もちろん子供をかわいがらない人間は異分子側でいい)、生きることになる。しかし、自己の行動と自己の倫理観や、価値観が一致しないため、私は、いろんな苦しみに直面している。人は優しい。しかし、同時にどれだけでも厳しくなれるのかもしれない。そんな一節を図書館の本で読んだ今日。同時に疲れ切っているのか、漢字の多い哲学の本などは興味があって、パラパラめくってみたのだが、ほとんど頭に入ってこなかった。やはり、理解力も、相当落ちているといえるかもしれない。実際問題。何か問題をやってみて、自分自身解けるもの、解けないもの、を明らかにして、自分に何が足りないか?を感じてみるのも、ひとつの手である。しかし、一方で、私は、そのようなことをして、あらわになる私の無能さ、に耐えられるだろうか?そうだ!昔、自分のことを無能だとずっと言っている人がチャットの世界にいたことを思い出した。
とにかく本を読むことは刺激になるため、これからも、このような読書感想文を書いていきたい。~たい、という欲求があるのは、いいことだ。本屋さんでカフカの本、ダニエル・キイスの本を見つけた。電子書籍で買っても、いいかもしれない。カズオ・イシグロの「わたしをはなさないで」もあった。
整理するとカフカの本が短編だったり、断片だったりするので、読みやすいかと思う。短い文章。短文や詩的なほうが、私の特性にあっているのかもしれない、と思い始める。最近である。