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無意識化のものをひねりだす

 この動きは、無意識的なものから引っ張り出す動きに似ている。私は何も考えずに、なんの論理性もなく、ただ書き続ける。感性的な物語も、そこに多分にふくんでいるだろう。わたしは私の音楽を聴き続ける。ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」のようにか?重厚な響きを与えようというのか?私は私の世界を構築しようとしている。私は私の世界をつくりかえようとしている。そこからそこから、底から底から湧いてくるものがあるはずなのです。知っていますか?あの夜の日の輝きを?私は白い大地を見つづけている。どうしても、この世界にあるべきものを見出すために。私は世界を調停しようとしているのか?予言めいた奇妙な物語をつくりあげようとしているのか?無意識にあるものを取り出す。それは、イメージのようなものなのだろうか?私の底にある奥深くにあるものを取り出すように、少しずつ現れてくるものがある。それは、なんだろう?それは、一体どんなものなのだろうか?稚拙な文章だ。いや、おさない文章だと感じる。だが、それが何だというのだろうか?私にとって、それが何を意味するというのだろうか。そこはかとなく、そこはかとなく、現れる。私は今日扉の前に立って、扉の重みを感じながら、扉を開くだろう。それが、何を意味しているのか?中にいるのは、何なのか?中には、今と同じような世界の現実が潜んでいるのか?扉の中から悪魔が出てくる。3本の角を生やした悪魔である。その悪魔は私に言うだろう。

「あなたはなぜここに来た。ここに来るべきではない。あなたはここに来るべき人間ではないのに、来てしまったのか。もう一度戻って、世界を見渡してみよ。あちらの世界にはまだ見るべきものがあるかもしれないではないか。本当にいいのか?あなたは本当に絶望していないのか?それとも、こちらの世界に絶望しているのか?」

 私は答えるべきか、迷う。だって、相手はあの悪魔なのだから。私は常に人々を迷える子羊のように見てきたのか。神的な、より心的なリズムで、私は物語をつむぎだそうとしている。一方で、どこまでいっても、そのような場所は見あたらない気もしているのだ。知っているだろうか。夜がまだこれほどまでに明るいということを。真っ暗な静寂。あたりまえの炎。どこまでいっても、世界は世界でしかない。私は私でしかない。同じ言葉の繰り返しによって、私は私であり続ける。私は私なんてない、と信じたい。それでも、、、それでも、、、やはり、そこに現実に存在しているのだ。自意識として、自分として、そして、私の中にある何かを引っ張り上げようと懸命に努力しているようなものだ。

 私を私であり続けるためのひとつの言葉の物語。私は私でしかない。私は私でもない。つまり、どういうことだ?私は私の私性を手放したのだ。わたしはわたしの私的な問題をたなにあげた。

 どこまで行っても、そこは赤い海。私はイメージしているよ。あたたかな赤い海の果てにneoという島があるってこと。私は知っているよ。その島には、天使たちが住んでいるってこと。

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