通院の日がやってきた。月曜日、つまり、おとといの通院予約のキャンセルから始まる一連の流れの中で、自分はどうすべきか?色々と考えていく。だが、どうしようもない。わたしにできることは、あまりないような気もする。非常に悲しいことに、大きな声で人が話しているのを感じる。これは、両親が話しているのだろう。わたしが部屋にいて、わたしの他には家は両親しかいない。そうして、わたしは今現在しゃべっていないので、わたしではないらしい。3-1=2 その2は両親であるという寸法になる。そして、声色的にも、彼と彼女らは以前の両親そのものの特徴を持っている。わたしはわたしそのものから、両親の特徴をつかむようなものだ。どうなるか?新しい関係性や、新しい年になって、色々なことが変わるのか?あるいは、変わらないのか?わたしは少しずつ圧迫感から逃れようとしている。圧迫するための何か。わたしを追い詰めるための何かが、生まれようとしている気もする。だが、そのこと自体はプラスにとらえている。わたしは自らにその圧迫を求めようとしているのか?わたしはわたし自身の苦しみをどこまで理解しようとしているのか?ただ、書く。何もなく、ただ、書くという行為のみによって、わたしは静かな力を得るだろう。
話を本題に戻すと、わたしの今の状態が、デイケアや作業所に行っても良い状態かどうかを主治医の先生に聞くこと。わたしはわたしの流れの中でわたしの行いを完成させるのです。話がそれまくる。躁鬱病だったとしたら、躁状態というところだろうか?他に聞くべきところは?問題は色々とやるべきことがとっ散らかっているということなのだ。わたしは昨年の最終診察では、薬の変更をして副作用(やる気、意欲の低下)などを改善していけたら、と話していた。それが、突然、作業者やデイケアの話になってしまっているのは、先生自身もびっくりされるかもしれない。そういう状況にいたったなりゆき、兄家族が来て、動かなきゃという気持ち、家から出たいという気持ち、が、ありつつの、相談支援センターへの問い合わせ、相談。わたしからのプレゼント。とてもよくできたものだ。とてもよくできた形だ。わたし自身をときめかせろ。わたし自身を燃え上がらせろ!