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← トップページへ戻る 日記

わたしという至高存在

 わたしはどうしてこうなってしまったのか?微小妄想より、誇大妄想気味になってきている。でも、実際生きるには、

「自分には価値があるんだ」

 と信じられることがいかに大事か!

 ということが、どれほど痛切に感じるか!どれほど、自分で自分に価値があると認識することが、大事か!むしろ、生きていくには、それ以外の全ては必要なくて、ただ、その

自分自身を認めてあげる

自分自身を誰が何と言おうと、素晴らしい存在だと、信じること。

 そう。これは、信仰に近い。だって、ーだから、という理由をつけると、その理由がなくなると消えてしまうから。だから、Aだから、自分自身に価値がある、なんて文法は使わない。ただ、理由もなくすべての人間は自分自身に価値があると信じなければならない。それが、人類の進むべき未来である。

 この状態は躁鬱でいうところの、躁状態なのだろうか?自分自身に躁うつ気味というか、気分の変化の激しさは、ある。また、明日になれば、自分自身が最低だなんて、いうかもしれないが、結局、後ろ向きになって、すねていても、物事は前には進まない。自分自身に自分自身で至高の価値を与えてあげなさい。自分自身に自分自身から無常の愛を与えてあげなさい。そのことが、何よりも大事なことである。

 脳内物質の気質的なものの変化によって良くなったのを、自分の精神の成果のように感じるのは、よくないものだな。大いに反省?いや、反省なんて言葉はわたしの辞書にいらない!無常の絶対者としてのわたしをわたしの中に位置づける。唯一絶対の神たるわたしそのものへと位置づける。自己信仰。自分自身を神だと、確信するのか?

成功体験によって、これだけハイになっているのか?

 この流れを続けるためには、ステップバイステップで、成功体験を積んでいくのが、現実的なのかもしれない。

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