そうだ。昨日の行動記録にチャットをして、他の人と話していたことが抜けていた。同じ病気の人(統合失調症)で、あまり外に出れずに苦しんでいるようだった。もう一度話したい気持ちになった。相手の方がどう思っているかは、わからない。それは、わたしにとって遠い世界の出来事なのだから。だが、自分で自分を励ますしかない、という言葉が強く印象に残っている。まさにその通りで、自分で自分を励ますしかない。本当にその通りである。その通りである。
昨日の夜ドラゴンクエスト11を変わらずにしていた。まもなくクリアするだろう。ゲームの中で仲間が死んでいたことが、ひっかかって、寝る時にモヤモヤした。パソコンの画面をスリープ状態にするのがうまくいっているわけじゃない。そう。そうだ。そんなこんなでおそらく布団に入って1時間以内には寝れただろう。悪夢も最近ではあまりない。少しずつ回復して行っているのだろうか。どこにでもあるよくある話を特別視しすぎているだけだ。わたしはこの世界の重要人物でもないし、わたしが何か特別なこと(良いことも、悪いことも含め)をしているわけではない。どこにでもあったひとつの物語が、終わりを告げたままである。
そして、目が覚めたのは9時30分頃である。昨日の夜母がため息をよくしているのを聞いた。それはそうだろう。今のわたしの現状誰が見てもため息の象徴だろう。だが、わたしは鈍感に図太く生きていく。ほとんど姿の見えないこの世界で、わたしという影を使いながら、この言葉が何を意味しているのか、わたしにもさっぱりわからない。きっと、あなたにも、わからないかもしれない。わたしはわたしという謎をひたすら追求していくしかない。わたしはわたしを求めるのです。それだけなのです。
午前中もドラゴンクエスト11をしていた。
おそらくラスボスのウルノーガの第一形態まで倒した。次の形態でやられてしまった。レベル上げするか、調整して挑むか、どうしようかな。何気に最近スーパーロボット大戦も、やろうかなあと思い始めている。黒い砂漠も、昨日やったような、いや、おとといかな?
記憶が曖昧である。好きなことをして過ごすことに罪悪感めいたものを持つこともある。だが、実際は将来の不安以外にとくに気にしてはいない心持ちのようでもある。おぼろげで、もやにかかったようなわたしの物語。わたしの人生の果て。どうにもしようがない。生きることはどうにもしようがないものとなっている。