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← トップページへ戻る 日記

 わたしは今日ブログを更新したか?

 リアルタイムでとっさの判断が求められる時、わたしは疲れているのだろうか?

 10分チャットをするだけでも疲れ切ってしまうのだろうか?冗談ではない!疲れ果ててしまうのだ。

 わたしは今疲れている。エネルギーは枯れてしまったかのようだ。

書く意欲。そう。書く意欲は低下している。

 わたしは今日はじめてブログを更新している気がする。実際は、それは昨日のことだったろうか?今日はまだブログを更新していなかっただろうか?

自分自身を自分自身で追い詰めるのはやめようと、言い聞かせる。

確認すると朝ブログを更新していた。だが、あまりよくない文章のような?じゃあ、わたしのいう良い文章って何ですか?わたしは良いという言葉の呪縛に導かれている。わたしは悪いと言う言葉の呪縛に導かれている。何もかも、わたしに返ってくる。わたしから出たものは、わたしに返ってくる。悲しいのは、きっとわたしが誰よりも苦しみを感じているから?そんなことはない、と皆が言う。皆はわたしに意気地なし、弱虫といいつのる。何度も何度も繰り返してわたしに伝えようとしている。わたしの物語を終わりへと。わたしはペットを飼うこと、自分が保護責任者になって、生き物を育てることを考えると、しんどくなってしまう。考えるだけで、別にそんな予定があるわけではない。そんな過去があったわけでもない。わたしはわたしでしかありえない。YouTuberのみうさんの生き方に共感。辛い思いをしてまで、生きていく必要もないような気もするね。幸い子供もいないし、親より先に死なないようにしていくだけがららわたしに与えられたミッションですわいな。そんなこんなで、両親の衰えと共に、わたしも家事を手伝っていかないといけないなあ、ただ、今のところ母も父もわたしに家事をさせる気はないらしい。まだまだ休みなさいと主張している。それに乗せられているわたしもわたしだが、今は何もせずに回復をじっと待つだけだな。

 ダラダラと書いてしまったな。またわたし自身がわたし自身を責める言葉を発してしまう。落ち着け。気持ちを整えるんだ。わたし自身のクールダウンが必要だ。今日チャットで会った人も言っていた。1年くらい家から出れなかったと。それでも良いんだよ。それでも良いんだ。わたしのこの恐怖は一時的なもので、わたしはこの恐怖をいずれ乗り越えることができる。そうだ。きっと、今はない世界に到達できるはずだ。内的世界の話になってしまうが、わたしは生きているだけで心から尊いと思えるだろう。心から生きていて良いんだと自分に許可を与えることもできる。神はわたしに言う。すべての人はひとしくわたしの子供であり、愛すべき存在であると。

 神はわたしに言う。

「あなたは素晴らしい人間です。誰よりもあなたを愛しています。わたしが与えるのは神の愛です。何にもとらわれない無償の愛なのです。わたしはあなたを愛しています」

 わたしはあたたかなその言葉をありがたく聞いている。ありがとうございます神よ。わたしにあなたの愛をあたえてくださった。何もかも、うれしく、何もかも、最高の気持ちです。

 また少しずつ回復してきました。わたしの力は少しずつまた回復してきています。ありがとう。

 つかれたけど、話せて良かった。とてもうれしいです。同じ病気の人と話せてよかった。わたしも同じように回復していけるかな。わたしも同じように回復できるよ。神はわたしに言う。

「あなたはかけがえのないわたしの子供です。愛や恋なんて関係なく、ただあなたはわたしの子供です。そのことだけが、わたしを喜ばせる。あなたの存在がわたしを喜ばせる」

わたしは書き続ける。何もかも感じるままに、わたしはわたしの力を感じつつある。何か特殊な力だ。わたしはわたしへの力を信じる。わたしたちはわたしたちからすべての人々を、、、。つまる言葉、何もない孤独。何もない暗闇。わたしはわたしを求めていないのかもしれない。

 暗い森から1人の人間が現れてくる。誰からも孤立したその人間は、そう。あえて、その人と呼ぼう。わたしに今人間を、それ、と呼ぶ気力、力はない。そう、その人がしっくりくる。それがいい。その人は、なだらかな信頼を持ってわたしに語りかけてくる。これほどのものか?!これほどのものか?!とわたしを戸惑わせる。

このものが、このものが、それは黄泉のなせるまま。読みのなせるまま。わたしは混乱する自分を直立した姿勢で、見守っている。そこには混乱と何もない空白がある。戻りたいものは、どこまでも戻りたさを出すものである。しかし、形のないあなたこそ、わたしへの道しるべとなるだろう。恐れることはない。ここにあるのは、ただのはじまり。ここにあるのは、ただの終わり。わたしはわたしであり続ける。わたし症候群。わたししか、ここにはいない。ここにいるのは、わたしだけ。この空白の世界にいるのは、わたしだけ。わたしだけのこの世界。1人の世界はどこにもない。何かが弾けた瞬間に何かを求めたのか?誰かが叫んでいる。わたしを狙っているのか?誰かの声が聞こえてくる。わたしを沈めようというのか?気分的にも、気持ち的にも。

 やんだ。声がやんだ。聞こえなくなった。わたしを狙うものがいなくなった悲しみ。わたしを狙うものがいなくなった孤独にわたしは打ちひしがれる。

 ガンダム逆襲のシャアの終盤を見た。TMネットワークのメビウスの罠??が、流れてくるまで。結局アムロもシャアも死ななかったのだろうか。アクシズは地球に落ちなかった。それは確かなようだ。クェスとギュネイ、チェーンは死んでしまったけれども。終わり方に余韻がある。うん。名作だ!

 テンションあげあげですよ!

そんな羅列が何を意味するのか?わたしの前の意味。わたしの部屋の意味。わたしの道の意味。わたしのひずみの意味。必ず消えた問題。必ず生まれた問題。ただ、わたしの物事の、意味から出る終わり。言葉遊びに終始しているのか。

空白、空虚さを逆に人が増してしまうのか?この感情の正体が孤独だとしたら、わたしは何を問いかけよう?人がいることと、いないことの違い。違わないわたしのはじまり。困ったら、はじまりか、終わりの語句を持ってくる特徴。すべてわたしである。わたしはすべてわたしである。

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