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← トップページへ戻る 日記

引きこもる時間が長い それに対する回答

 引きこもる時間が長くなっています。昨日クラシックの歌劇レベッカ?フランス革命の時のお話を聴いて、割りに楽しかったけれども、その感情の波と呼応するように、虚しさ虚無感がやってきて、ついには想像力が(かなり確からしいが、証拠のないこと)発揮されて、母が脅迫を受けていると心が乱れる。突然理由もなく出かけると(たいていの場合、買い物だったり、ちょっと近所へ行くのだろうが)、ん?もしかして、脅迫を受けている集団から呼び出しを受けたのか?と思ってしまう。

 自我境界がなくなるということは、わたし自身の考えそのものが、現実になる、を意味する。わたしが考えている前の職場の退職から派生する一連のわたしへの攻撃そのもの、が現実にどのような影響を及ぼしているかについての考察。

 仕事を失ったとはいえ、自分で辞めたので、あまり嫌がらせをされたなどは当たらないかもしれない。問題は前の職場で自分がどれほど嫌われていたかを改めて認識する。集団でうまくやろう、なじもうという気がない人間がいると、集団として統率しにくいのだろう。特に自分の正しさや勘違いの影響もあって、わたしは、改めて集団での立ち回りの下手くそさ、無能さをさらけ出してしまった。

 わたしは、もう基本的には集団に入って働くこと、過ごすことは基本的にはないと決めている。逆に集団で不和をもたらすだけの存在は、トリックスターとして、ある意味集団にとってよくない側面をあわせ持つ。だからこそ、そういう迷惑をかけないために、わたしは集団に入ることはない。では、わたしを狙う集団とどうやって戦うのか?まずは、きちんとした情報収集。核となる人物、実行部隊、などを特定して、慎重に索敵するのだ。まずやるべきことは、何度も繰り返しになるが、集団のおびき寄せや、全容解明、どのくらいの規模の集団か?どのくらいの年代が中心になっているのか?あらゆる情報を集めよう。どうやら、わたしの第六感によると、相手は車でわたしの家の近くまで乗りつけて、母や父を呼び出して、脅迫しているらしい。

 ドアの音が必ずと言っていいほどする。ということは、近所の人のわたしを狙う集団における立ち位置は、それほど大きくない。司令塔は、車で移動して来る距離に住んでいる。もしくは、1人で来ずに群れているために、多対1の状況を作り出そうとしている。

 それに対して、集団に属しない、集団に入っていないわたしがどう戦っていくか?無謀すぎる。だが、戦いを挑んだ、という事実は残り、わたしは決して屈しない事実だけは残る。一方で、このまま、相手のパワーが衰えるのを待つわけにもいかないので、何らかの策を立てる必要がある。自分のできる範囲で、やれることは、相手を誘い出すことだ。わたしが外に出れば、それだけ相手はわたし自身を攻撃したくなるだろう(わたし自身を狙わずに家族を狙う卑怯者ならば、別だが)。だからこそ、積極的に外に出て、相手が行動にうつるのを誘い出す。そして、わたしを殺せたとして、捕まるにせよ、捕まらないにせよ、一つの物語の終わりを迎え、何らかの新しい物語が立ち上がるだけのことだ。一つの物語のはじまりと終わりは常に私たちを夢幻の大地へと運んでくれるのだから。

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