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← トップページへ戻る 日記

波が激しい

揺れている。途端に気持ちが落ち着かずに、気持ちがゆれてしまう。ふとした隣の部屋の父の独り言らしきものから、想像が飛躍して、父がわたしを嫌う人から嫌がらせされて、苦しんでいるというストーリーができあがる。そんなこと望んでいないのに、なぜそんな想像が出てくるのだろうか?

1回も父にそんな話はされていないのだが、、、。病気の症状といえば、それまでかもしれないが、なんとなくそんな感じがするという第六感は、あたるのだろうか?

 この病気になってから、前の発症のときもふくめて、自分自身の感覚が信じられなくなってしまった面がある。つまり、わたしの中で直感や直観と表現できるものを信じられなくなった。同時にチョッカンに対する憧れや、信頼は今も残っている。だからこそ、この想像が正しいとなんとなく信じているのだ。執念深く彼ら彼女らはわたしをつけ狙っているというような想像力が働く。

 感覚として、あるものが、事実としてなかったなんて、そんなことはありうるのかもしれないが、どこまで本当か?

 もし事実なら、わたしは病気ではなく、統合失調症を克服していたことになる。そして、その事実と対峙して向き合うことになる。だが、現実問題、わたしは現実的に病気以外のいかなる嫌がらせや暴言を吐かれたわけでもない。すべて想像の範囲内である。なので、わたしはわたしを狙っている人間がいる、わたしを嫌っている人間がいる証拠をつかみたい。そのためには、外出しなければならない。

 もしつかめれば、客観的な証拠(現実的に多くの人が観測できる物的証拠)があれば、わたしも納得できるのだが、わたし自身だけの観測、感覚では病気の特性上心許ない。

 一つの方法として、スマートフォンを使って現実を観測する方法。ただし、よほど高い感度でないと、離れたところからの、声は拾えないだろうこと。

 客観的な証拠が欲しい。今のところ、その証拠がない。

 きらわれている、攻撃を受けている証拠もないまま、訴えても誰にも相手にされず、ハイハイ病気の症状だね、で終わってしまうのが、悔しいじゃないか。

 しかし、悪魔の証明たおなじくいないこと、ないことを証明するには、どうしたら良いのだろうか?できないから、多くの人は症状で苦しんでいる気もする。

 現実的に辞めた職場に行くのも、一つの手ではあるが、そこの職員と話をするのは現実的ではない気もする。仮にわたしを殺したいと思っていても、そうは言わないだろうから。(日本で言う本音と建前)

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