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← トップページへ戻る 日記

もしこれが妄想だとしたら

 両親と一緒にご飯食べた。和気あいあいと話も弾んだ。もし、わたしの想像が間違いで、わたしが単なる病気だとしたら?

 わたしは何者だろう?1人の人間ではある。(おそらく多くの人間はわたしを人間として認めたくないだろうけど)また、後ろ向きのひねくれた見方をしてるのではないか?何がひねくれていて、何が普通かよくわからなくなっている。

 きっとわたしのこと嫌いな人もいて、別になんとも思ってない人もいるのだろう。それは事実だ。そのことを世界として受け止めていかなければならない。生きるとはそういうことだ。家族はわたしを好きかもしれない。でも、わたしこと嫌いな人もいっぱいいる。それだけのことだ。生きるってのは、すべての人に好かれることはないし、すべての人に嫌われることもない。生きるというのは、とてもあいまいな状態をそのまま流せること。とてもあいまいな状態を、そのまま受け止めることである。と思ってみる。と、なんとなく感じてみる。わたしはただの石ころである。コロコロ転がる石である。坂道は転がり、平地ではほとんど動かない。時間軸と共に、地形の変化が起こり、わたしのいる0地点は、平地から下り坂になったり、上り坂になったりする。沼地になることもあるだろう。砂漠になることもあるだろう。そして、やがて石は崩れて落ちる。それだけの人生として、それだけの生命として、その生命の輝きはここに静かにしずまっていく。

 どちらにせよ、両親がまだ元気で、笑いあえる時間ができたこと、とても嬉しく思わなければならない。

 今日は書く力が増しているのか?それとも、気分的なものか?書かずにはいられないような感覚。そわそわしているのを、書いて落ち着けているような、そんな気がしている。

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