うむ、やはりそうか。やはり、そうか。正しい道とはなんぞや?
私は今日も生きている。生きているのは、なぜか、昨日も生きていたから、今も生きているのか?
それとも、生きたいと肉体が言っているのか、生きたいと肉体が願っているのか?
それとも、実は私はとても生きるのが好きで、とても生きたいといつも願っている人間だったのか?
日記は日記として、ひとつのはじまりへと至るのだろう。私であれ、またひとつの私であれ!
誰にもわからない。ひとつのはじまりと終わり。誰にも見えない。ひとつのはじまりと終わり。
何をもって生きたいと願うのか、何をもって生きたいことを拒否するのか。
私は私でしかなく、まとまりのない思考も、また私そのものであるのだろう。
きっと今では、この世界。どうなる?どうなる?
何も考えていないような。そんな考えは、どこに行く。言葉として、何かは生まれるのか?
静かに物事は進んでいく。しゅくしゅくと、ゆったりと、私は私を失わない。きっと、今では、自然の物語になっていく。そして、そのまま消えていく。のんびりと消えていく悲しみ。私たちのひとつの物語。終わりからの始まり。そこまで行っていない。まだ行っていない。そこにある現実。まだ、何もないここにある現実。
どこにいっても、そこにある今。どこにいっても、そこにある精神。どこにいっても、そこにある病という名の鉄道列車。鈍行であれよ、と思っても特急列車だったりする。どうにもならないこの世界。どうにもならない終わりの始まり。今でこそ、今でこそ、ここにある私。