なんだかんだいって、始まったモーニングページ。どうなる?どうする?まとまりのない思考。陰性症状の影響もあるのかなあ。あると信じたい気持ち。そして、これから少しずつ改善していくんだという気持ち。持ち続けたい。1分たって、どう?やれる?
わからない。何もわからない。すべては霧の中。すべては闇の中。未来は闇の中。昼からは雨らしい。疲れを感じている。何度も何度も疲れを感じています。私の体は弱くなってしまったのでしょうか?それとも?ああ、それとも?
内容のないことを、つらつらと書くのみ。それでも、何か社会的な出来事よりも、私自身の鬱屈した感情を書き出すほうがまだ、有用に思えるのです。そうではないか?と私自身に問いかけても、私は何も答えないのはわかっています。ただ、そうか、とうなづくだけなのです。
いろいろな問題が私たちに降りかかってくる。生きることの意味や、生きることの苦しみ、生きることの喜びでさえも、虚しくなってくる。疲れはあるが、ゆっくり休めるか?
それも一つの問題だ。疲れがあっても、休めないと疲れはたまる一方だ。だからこそ、休むための力を残しておかなければならない。ーしなければならないという表現に感じる違和感の正体は、なんだ?ひらがなの多さか?それとも、なんとなく否定形で文意を、わかりにくくしているからかな?どうなってるんだろうね。
奇怪で、おどろおどろしい妄想が出てきては、消えていく、あとに残るのは、おどろおどろしい感覚と感触だけ。いろんな形があり、私は自由になっている。少なくとも、文章を書くことはだれにもとめられない。
この幸せを、今文章が書ける幸せを意識しなければならないのかもしれない。まただ、また、ひらがな多い文意のねじれ?まあ、いい。どうなろうとも、文章は文章だ。私に独特なものは、私の独特な文体として完成される。
一つ私は書いていく。ヘイヘイホーと、与作が木を切るようにだ。そう、トントントンだよ。カンカンカンだよ。あってるか、わからないけれども、私は私でしかない。私は与作ではない。
残念ながら、いや、残念ではない、うれしいことに私は私であり、絶対的な境界の守護者なのだ。わたしという陣地を守る人智の守護者とでも、行ったほうが良いか?感情の平板化と並んで、思考力の低下が、統合失調症の陰性症状に含まれるが、比喩らしい比喩は使っているか?私の思考力は低下しているのか?
本当に低下しているなら、本当に疲れ切っているのか?私は私。私は疲れていると思ったとき、それは、すでに相当に疲れている状態。何も感じない状態はかなり疲れている状態である。それだけで、もう常に疲れ切っているような日常なのです。漫画でも読んでリラックスしようよ。疲れ切ってないで、遊ぼうよ、なんて声をかけてくるかもしれません。
でも、無理なんです。そこは、グッと自重しましょう。私の言葉の中にある、その秘儀性をなんにでも、なんにでも、やってしまおう、あげてしまおう。文意も何も考えなくていいんです。ただ、言葉が出てくるままに、書いてゆけば良いのです。それが、モーニングページの本質なのです。私は私。モーニングページはモーニングページ。同語反復なのです。私は私の過去からの決別とともに、認識自体の抜本的改革が必要とされています。
知っている人の話を聞くと、マイナスのことが思い浮かんで、嫌な気持ちになる。それが、今の現状で、それで、人と会いたくない気持ちもバリバリありますよ。認めていこう。人と会いたくない。人と接したくない。その気持ちもある。その根底には何があるか?人と接さずに生きていけるのか?という疑問や、不安。人と話す効果。人と人を新しく作り上げてくのならば?
だが、人と人のつながりによって、その新しい関係はやはり壊れるのだろう。私のことを好きになるような奇妙な人間がいるだろうか?と考えると、いるかもしれないとも、感じる。まだ、希望を捨てていないのか?希望だって?
本当は人と一緒に楽しく過ごしたいのか?私自身に問いかける段になったぞ!髪の毛が気になる。落ちた髪の毛、スマートフォンにつきささり、いや、言い過ぎたスマートフォンにのっている。風で飛ばそうか、それとも、手で払おうか悩んでいらところ、自然にはらりと落ちてしまったよ。
あと8分だね。やはり、長い。長いと感じながら、ペース配分をしながらみんな書いているのだろうか?よくわからない。
私自身も何を目的に書いているわけでもないから、いや、このブログ自体の目的は、私自身を楽にすること、癒すことだったきがする。わかるかい?
私の子どもたち。私の中にいる私の子どもたちの悲しみも何も感じない現状。要するにロールプレイとして適切な行動は取れるかもしれないが、現実にこんな人間がいたら、それは、不快だろうな、ふふふ。たしかに、たしかに、不快だろうな。私が不快でない人間になったとして、そのことに意味があるのか?私は不快な不器用な何もできないひとりの人間として、生きていけるのか?自分を崩さずにひとりの人間として、生命をまっとうできるのでしょうか?
何もない終わり。何もない始まり。空虚な雅なるこの世界。夢を夢となして、消えてゆく雫の美。新しい関係は、新しい関係で終わる。始まりの宴はまだ来ない。人々の苦しみはまだここにある。
何もないヒコウセイ。飛行船のような飛行性。私たちは何を求めるのか?私たちは何を信じるのか?人々の群れに何を感じるのか?止まりつつある手紙の書き出し。あなたへと送るのか?それとも、彼方へと送るのか?どちらにせよ、手紙は書かれようとしている。今、まさに書かれようとしているのだ。
疲れはまだない。いや、すでに疲れ切っている中で、その中での、段階を告げているにすぎない。疲れ切ったレベルのうちにおいて、まだ疲れはまだないと言い張っているだけなのだ。