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空白のイデア(28)

 さて、あらゆる物事の始まりとしての海から。

「知っているのだろう?あなたは何か自分の心にひっかかる記憶のある。すべてを苦しめる支柱のひとつを求める。空白の存在がそこにはある。ゆるやかな始まりが、すべての急激な終わりをもたらすのか。内面の空白もまた空虚なひとつの答えを出している。その答えは、あらゆる物事の連想ゲームであるというのに。ゲームそのものは、勝敗のないものだ。勝てば、どうなるというものではないが、人々は勝つことを求める。そのためにひとつの吸引力が必要とされる。まるで渦をつくるような強力な落ちていく力。その果てにあるのは、なだらかな風の大地。小鳥たちが鳴いている街。その果てにあるのは、佐藤という名前の人物の残骸なのだ。まだ生きている。彼はまだ生きている。だが、もはやかつて佐藤だったものは、ひとつの精神と化している。あなたは知っているだろう。その精神が圧倒的な魔術性を持っていることを。教義としての死者信仰と結びついていく。彼は本当に偶像をつくろうとしていたが、自らが、その偶像になろうとしている。そのことを知っているのか?彼の周りには、停滞した時が流れている。あらゆる関係は糸のように細くなり、まさに切られようとしている。そのためにあなたができるのは、きっととても小さな力。それでも、それでも、あなたはひとつの答えを出そうとしている。終わりのない始まりを司るものとしての、はじまり。はじまりはいつも雨だったと、昔の詩人は詠んだことだろう。だが、それでも、その丘の上にあるのは牛車ではなく、かなり大きな泥の積み重なったひとつの、いや、ひとりの人間だったのかもしれない。そうだろう?あなたが知っているのは、そこまでではなく、その物事の結末。どこでもない、何かが、そこに浮かび上がってくる。現実的にものをもたない影のように。そして、その大きな黒さは、やがてヤマアラシのように人をとどめ続けていく。どこに?空に。海に。山に。すべての場所に人々は存在して、魂が2度目の昇天を果たす。おおきな悲しみと動きのためのはじまりの真理が、ここからなだらかに現実へと至る。悲しみ。そう。そこにあるのは、そのままそこにあるままの悲しみ。人間的な感情のはじまりでもある悲しみが、ここまで私たちをみちびいてくれたのだ。そのために、あなたたちは、豊かな物語を構築しようとしている。喜びのための踊りを踊ってしまおう。そして、悲しみをすべてのはじまりからすべての終わりへと変化させよう。君たちは、どこに行っても、どこに行っても、その姿はただの影であろうとも、どこにもいかないひとつの影であるとするならば、ならばだよ?あなたたちも、君たちも、すべては物事を始めるものとして、今立っている。日本の足は強大で、そのふたつはいわゆる兄弟でもある。おおきな私たちの始まりを告げるのは、彼方の鳥だとしても、私たちはクをただの偶像としてだけでなく、神話の構造物として、おさめるだろう。よく教えてくれたね。鈴木たちの悲しみは、まだここにない。佐藤の悲しみはよどみなく大河に流れていく。悲しみと痛みをともなった旅路は終わりを告げないだろう。教えてくれ、その最後の力のないあなたの手は、痛みと終わりをともなった苦しみへの救いとなるだろうか?ああ、私よ。戻ってこい。この世界に。ああ、私よ。ただここにあるために、ここにあれ!そして、人々がクの奇妙な聖別を見知ったときに、佐藤の聖別も同時に行われるだろう」

 鈴木はそこまで言うと、佐藤として生きてきた今は廃人のようになった男に食べ物を与える。佐藤はとびっきりの笑顔を見せて、おいしそうにたんぱく質をとっていく。うれしそうに。そして、その笑顔は天使の輪と呼ばれる。佐藤のつくった集団へと還元される。人々は認知症になった佐藤よりも、今の鈴木。狂人なる、そして強靭なる鈴木へと舵を切ったのだ。船はすでに沖へと出ている。人々は、羅針盤のない航海をはらはらと見守っている。だが、その顔には、どこか希望に似たいつくしみが宿っている。知っているか。あなたは、この世界が、まだここにあったと知っているのか?ただ、ここに。ただ、ここにこそあったという真実。

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