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空白のイデア(19)

 佐藤は聞いている。音楽が流れている。ベッドに座ってスマートフォンから流れる音をじっくりと聞いている。ドアをノックする音がする。一人の男が入ってくる。鈴木だ。いや、かつて鈴木だった人と呼んだほうが良い。彼の姿はもはや彼女になっていた。鈴木が、もはやその原型をとどめているのは、長身さのみであり、そのすべてが、佐藤の妻への変質を含んでいる。いくぶん女性的になった高音で、語りかける。

「佐藤さん。あなたが求めているのは、何か?それを私は知っている。だが、その中身そのものをとらえられないでいる。難しいひとつの形をとっているのです。私は、なたのためになりたいと思っている。だけども、現実には、あなたはこうして、ひとつの教団の教祖となり、深い深い山の奥深くにひきこもっている。どんな気分です。世界をひとつの定点から見つめるのは」

 佐藤は、強力な感情を感じた。その感情は喜びとも、悲しみとも、憎しみとも違う。なにか、すべての感情をふくんでいるようで、どこか甘ったるい感覚を感じさせるものだ。その中から抽出した、ひとつの形を何の形に変化させようかと考える。その洗練された体躯から、洗練された終わりが始まりをむかえるように。新たな壁が生まれてきた。静まり返った森の部屋の一室(天然の木々によってつくられた空洞の部屋にある程度のカスタマイズを加えたもの)から、佐藤は空を見上げる。その視点の先には、鈴木はいないのかもしれない。

 それでも、佐藤は答える。

「私は何も見ていない。何かを見ようという気持ち、意志すらない。すべての闇は晴れつつある。私たちの前にひとりの少女が現れるのは、決まっていることだ。その少女を探そうとしている。きっと今は大学にいるのが見える。そして、精神的な病で、大学を休学している。そして、ひとりアパートの一室で、日々を限界に近い形で過ごしている。その少女を探すのです。あなたの役割は、あなたのその力は、そのために、その少女を助けるためにこそ、存在しています。それを忘れていなければ、あなたは、もうここには来ないでしょう。いわば、あなたは、少女の先導者であり、庇護者なのです。彼女は性別を超越している。そして、あなたもまたその性別の超越へ至ろうとしている存在。だからこそ、融和のとれたふたつのスフィアとして、存在できるのです。あなたたちは、つがいではないが、もっともつがいという比喩がふさわしいふたりになるのです。あなたの総理大臣としての力を使うのです。それが私の願いだ。わかってくれ、鈴木さん」

 一瞬、昔の佐藤が混じったようだった。だが、すぐに佐藤の目はどこかここでない遠くを見つめ始めた。戻っていく意識の中で、鈴木は少女のいる地へむかう。

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