ある男は街を歩いている。ふいに誰かの声がした。「君はどこに行こうとしているの?」立ち止まって、辺りを見回す。立って電話をしている30代くらいの女性。すれ違いざまに歩いて過ぎ去っていった歩くのも苦労しているような老人。そのほかに、街の向こう側に2,3人の人影はあるが、どれも、男とは関係のある物事のようには感じられなかった。
「誰だ?」口に出してみる。もちろん独り言の領域だ。具体的な誰か、に向けて発せられたものではない。返事はない。やはり、空耳だったのだろう。男は再び歩き始める。「君に言ったんだよ。今街を歩ている君にね。話しかけたんだ。そして、聞いたんだ。どこに行こうとしているのか?とね」再び声がした。また、空耳か?いやに、はっきり聞こえるじゃないか、と男は多少の戸惑いを含みながらも、歩き続ける。これから仕事を終えて、家に帰ろうとしている。時刻は夕方の18時過ぎ。今の季節では、すでに日が沈みかけ、あたりは暗くなりつつある。街の明かりがいっそうと人々を照らす中で、男に声をかけているらしい人は、この見渡す限り存在しなかった。試しに、心の中で返事をしてみる。たぶん、これは、私自身のなんらかの病気によるものなのだろう。きっと、いつもの熱病のような、あの精神的な動揺の一種なのだろう、と。「私はこれから家に帰ります」ふと笑い声が聞こえた気がした。「そうか」と誰かが言葉を発したようだった。具体的に、どこの誰かは、わからない。後ろを歩く女の声にしては、少し低すぎる気もした。男は、逆に”声”に質問してみたくなった。一体、この声は何者なのか?と。「あなたは誰です?なぜ、私に話しかけるのです」「精神はつねに私たちを優先している。人間の精神は、私たちを常にいやしてくれるものだから」声は、そう答えた。男は、ますます混乱する。いつもの”声”以上に支離滅裂で、要領を得ない気もした。その一方で、何か言葉そのものには、得体のしれないパワーを感じるのだった。「もう一度聞きます。あなたは誰です」声はまた笑った。乾いた笑い声だった。「あなたの精神に干渉しているのは、かつて精神と呼ばれていたあなたの原始時代の物語です」 次の瞬間、男は自分が喪失するような感覚を味わった。まずい、意識が持っていかれる、と感じた。浸食してくるのは、その声の主だ。そう感じたとき、男は涙を流し、声をあげる。「私を救ってくれて、ありがとう」
イマジネーターAだったものは、男の肉体を得た。そして、ぼんやりとした目で、つぶやく。「これが、肉体か」