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スマートフォンからモーニングページ

 どんな感じ?と私が聞いてくる。悪くはないけど、良くもないよ、と答える。この世界そのものの成り立ちや、嫌な記憶、嫌な出来事を妄想して、勝手にひとりで苦しんでいる。

 何をしてるんだ?と思っても、それを修正することができない。まただ。また「こと」という単語が多くなってしまう。なぜか、文章指導の本か、何かで、その事が多すぎると良くないと書いてあるのを見て、気にするようになった。悪くはないが、自然に使ってしまうのだ。他に省略したりして、いろいろ使えそうだけどね。まあ、一つの文章指導の一つ。目安の一つとしてあるだけ。

 昨日読んだひどいいじめの記述のある本、同じ統合失調症の佐久本さんという方の本だ。ひどいいじめの記述があって、そこがとてもしんどくなった。それまでは、わりあい面白いなと思って読んでいたのだが。たしかに、良きにせよ悪いにせよ、人を引き込む文章力、書く力を持っていると思う。改めて、すごいなと思い知らされる。

 私はというと鳴かず飛ばすというより、スタートラインにさえ立っていない状況。なぜなら、完成できていないから。どうなるんだろうな。適当なところで完成、として、終わるのかな?日々書いていく中でどうするか、考えているところ。

 とりあえず、わかっているのは、書くこと、書かなければ何も始まらないっていう真理です。それなのに、昨日はなぜかあまり気が乗らず、筆が乗らずに書きにくいイメージが残ってしまった。だけども、小説とは色んな形式があって、ましてや、文章とは色んなパターンがあって良いものだし。何か決まった正解があるわけでもない。だから、自由に言葉を書き出せるんだ。

 なんだかんだ、スマートフォンのほうが打ち出しスピードが速いかもしれない。キーボードのローマ字は母音以外は2タッチだからね。

 そういえば、昨日メッセンジャーのラジオ聞き忘れていたな。今日朝からタイムフリーできくぞ。今日のアシスタントは梅山さんかな?まあ、たくさんのアシスタントがいて、にぎわいがありますね。

 今日も午前中から父と母はテニスに行くようだ。元気に過ごしてくれているのは、とてもうれしいし、良いことだ。私がこんな形で何もできない状態になって戻ってきて、どう思っているかは、分からない。けれども、できることを、やるだけと、自分に言い聞かせている。私の何かやるは、積極的に相手のために何かするというより、消極的に頼まれたら、するというものだ。

 母に家事手伝いしようか?と提案するとまだ早いという。たしかに病気になって数年療養することもあるこの病気なので、まだ半年。少し急ぎすぎているのかもしれない。急いで、就職して、かえって悪化する人がいっぱいいるイメージだ。頑張れる人は頑張れるのだろうが、そこまで人は強くない、いや、我慢する強さがあるからこそ、かえって限界値をとうにこえてしまうのだろう。

 たくさん書いたように思えるが、実際のところ、1行にかかる文字数が違うので、実際のところ、いつもモーニングページ何文字くらい書いていたか、なんとなく感覚でしか、わかっていない。今日は多いのか、少ないのか?というより、大事なのはたくさん書くのではなく、自分の気持ちをありのままに書くのではなかったか?その原点を忘れてしまっては、よくないですよね。

 といっても、ちゃんとジュリアキャメロンさんの本を読んだんだったか?記憶が曖昧だが、1回くらいは読んでいると思う。それで、記憶にほとんど残らないのだから、私はどういう頭をしてるんだ?と我ながらびっくりである。

 そういえば、母に認知機能障害のことを話したら、気にしすぎ、そんなことない、みたいに言われたけれども、実際問題、過去を美化しすぎて、自分という人間の能力はこんなもんだ、ということを完全に忘却しているのかもしれない。過去を美化して、なんでもできたように感じてしまうのだろう。

 一つ私の中で、はじめたいものがある手芸だ。手を動かすし、脳の認知機能障害には、効くだろうし、将来的にはハンドメイドで、商品販売もできうるからだ。たた、プロとしてやっていくには、大変長い時間がかかるし、あれもこれも、手を出して、結局何もかもおろそかになるのは、避けたい思いもある。

 今は書くこと。とりあえず、書いて、書いて、書いて!気乗りしないとか、そんなこと関係なく、書いてほしい。私が私自身に望むのはそういう思いを持っている。

 それでも、書くことは簡単ではない。書くだけなら誰でもできる、わけではない。しかし、書くことでしか、作品は生まれないのは、明らかな一つの事実である。

 心から、人生が終わってくれれば、こんなことを考えなくてすむ。どうやって生きていくかも考えなくてもすむのになあと、親不孝なことを考えてしまう。死ぬくらいなら、死ぬ気で何かやればいいのに、と思う人もいるだろう。死ぬ気でなにかやるパワーがないので、終わりにしたいのが本音だ。かといって、毎日の食事はおいしいと感じながら食べているし、睡眠も睡眠薬の力を借りながらも、十分にとっている。すべてのことがめんどくさいなってしまう。人付き合いも、仕事も、生きることさえ。そんな人間が、ただ惰性で親の支援で暮らしている、この現状。読む人が読めば、きっと怒りがこみ上げてくるだろう。かといって、その人は私を殺すわけではないのだろう。

 そのへんのミスマッチが、不思議に感じるのは、病気のせいだろうか。私のこと嫌いなら、殺せばいいのに、と思うけど、やっぱりいろんな制約があってできないのが、人間であり、社会であるんだなあ、と一人ぼんやりと考える。

 私事ですが、まだ生きています、という表現がぴったり、しっくりくる。

 一体どうなるのかな?私の声が聞こえていますか?天の声?神の声?何か絶対的な何かにすがりたい気持ちもある。それほど、弱くなっているのか?はたまた、それは良い傾向なのか?悪い傾向なのか?とりあえず、今日はこれだけ言葉が出てきているのは、良い方面に進んでいるのだろう、と一人考える。

 そういえば、昨日村上春樹さんの本を読まなかったかもしれない。なぜだろう?といっても、毎日読むと決めたわけでもない。いよいよ、子易さんと直接の話が始まってきた。作者自身もどこへ行くか分からないような書きぶりである。きっと、真実そうなのかもしれない。五里霧中の中を何かを探しながら、歩いている感覚なのだろう。

 30分ほどたっただろうか?モーニングページは、これで終わりとしよう。ありがとうございました!

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